テレビのない生活 2009.09.10
1990年くらいからテレビのない生活をずっと続けている。そんなことを言うと、人から驚かれることもあるし、逆に感心されることも多いが、これまでの20年間で何の不便も感じないし、生活に支障をきたしたことなど一度もない。辛いのは、テレビでしか見られない話題などを、あまり親しくない方からいろいろと一方的に訊かれるときに、答えに窮してしまうことくらいだろうか。
もちろん子供の頃はテレビを良く見ていた。それが続いたのは高校生までだったと思う。もともと、テレビはそんなに好きではなかったのかもしれない。見なくなった理由もたいした話ではない。学生の頃、たまたま見た番組がとてもつまらなく、そのときに「もうテレビは見ない」と心に決めて、電源コードをコンセントから引き抜いたことがテレビとの決別だった。自分でも実に変な奴だと思う。
社会人として働き始めた頃、中堅の先輩にテレビがないことを話したら、社会人として失格のようなことを言われた。社会情勢を把握するためにもテレビは大切だし、天気予報とかもどうするのかと訊かれたが、そんなことなどラジオからいくらでも得られる。あまり反論つもりはなかったが、何となく癪にさわったので、ラジオでもいろいろな情報は得られますよ、と切り返した記憶がある。
だからといって、テレビのすべてを否定しているわけではない。見るに値する番組や貴重な映像などが楽しめる機会もたくさんあることは確かだろう。でも、テレビが流し続ける情報については、かなり偏っているのではないかと思うことが多くなった。一方的に流される情報を単に受け取ることに、あまり疑問を感じない人もたくさんいるようだが、私はもうテレビには興味がなくなってしまった。その役割は、終焉を迎えようとしているようにも思う。
その一方で、インターネットの情報は偏っていると言われることがあるが、まったく逆で、テレビに比べれば比較にならないほど多種多様だと思う。いろいろなところから、いろいろな情報が得られるから、それを自ら受け取りに行って、あとは自分自身で判断をすれば良いだけの話だ。それができないテレビというのは、情報発信源としての役目はすでに終えている気がするのである。
テレビがないと、実に静かで気分がゆったりする。おそらく私の人生の中で、もはやテレビを買うことはないだろうし、日常的にテレビを見るような環境をつくることもないだろう。
加筆訂正:2010年6月27日(日)/10月31日(日)