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便利さと忙しさ 2009.11.22

便利さと忙しさは比例関係にあると思う。世の中、便利になればなるほど忙しくなる。便利になるというのは、することが増えることでもある。便利さの向上は時間の喪失につながるのかもしれない。

携帯電話は確かに便利だ。でも携帯電話があるお陰で、私たちの生活は忙しくなったと思う。電子メールも同じだ。時間のあるときに送りっ放しにしていいし、好きなときに確認できるという、とても便利な媒体だけれど、電子メールがあるお陰でやっぱり忙しい。

便利さが細分化されればされるほど、忙しい時間が細切れに増えて行く。コミュニケーションが簡単に取れれば取れるほど、それに費やす時間も増加する。おそらく日本は世界で最も便利な国だと思うけれど、便利過ぎて、結局みんなが忙しくなっている。

話は変わって、キャンプに行って火をおこすときのことを考えてみる。お腹を空かせた子供がいて、調理用の火を一刻も早くおこさなければいけないという状況を除けば、火がなかなかつかないときの時間はキャンプにはとても大切だ。じれったいけれど、その無駄な時間が楽しいのだ。

話はさらに脱線する。ドイツには「閉店法」なるものがあって、日曜は飲食店以外の商業店舗はすべて休みである。だから日曜には買い物ができない。大きな駅の中にはスーパーがあるから、何かあった場合、日曜でも最低限の買い物はできるが、私はいまだかつて、わざわざ駅まで買い物に行ったことは一度もない。

これを不便と思うかどうかで気持ちは大きく違ってくる。日曜に買い物ができない分、他のことに時間が使えると考えれば、不便さは否定的な要素ではなくなる。無論、そのしわ寄せは、たいがい土曜にやって来るのが問題だが、土曜は買い物に忙しくても、日曜はゆっくりできることになる。

便利さが平準化されるほど、忙しさもそれに比例する現状は、これからも変わらないし、その傾向は加速されて行くのかもしれない。便利さの更なる向上を否定するつもりはないが、不便さも楽しめる気持ちの余裕を持ちたいと思う。

「不便さは面白さ」と言い切るには、ちょっと自信がないけれど、そんな思いは心の片隅のどこかに常に置いておきたいと感じている。

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