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還流独歩

客の前で書類を破り捨てる女 2010.02.23

1998年10月からドイツでの生活を始めた私は、1999年2月末に南ドイツの田舎町からケルンへ引っ越した。それまでの生活は、すべて徒歩圏内にあったが、100万都市のケルンは大きく、住むところも市内からかなり離れていたので、必然的に公共交通機関を使う必要があった。

ある日、私はKVBと呼ばれるケルン市交通局の顧客センターにいた。定期を買うためである。窓口にはたくさんの人が並んでいて、それまでの田舎町暮らしから、都会に出て来たことを実感したときでもあった。定期の買い方が良くわからなかった私は、適当と思える申込書に必要事項を記入し、窓口の女性に渡した。外見からまだ20歳くらいのとても若い人だったと記憶している。

その彼女は申込書を見ながら言った。「あなたが買う定期には、この書類は必要ありません」。そして私の目をしっかりと見つめた彼女は、表情を一つ変えることなく、その申込書を真ん中から二つに引き裂き、そして二枚に重ねて、もう一度、破って四つ裂きにしてから脇にあるゴミ箱に捨てた。一瞬、どうしてよいかわからなくなった私は、そのあとのことをあまり想い出せない。でも定期は手に入れることができた。

それよりも、その女性が私の目の前で書類を破り捨てた理由を探して、私の頭の中には様々な思いが巡り続けた。それは私の間違いだったとはいえ、彼女の態度の方に動揺する自分がいた。彼女は私に腹が立ったのか、あるいは単に機嫌が悪かったのか、いやもしかして、「あなたが書いた書類は不要だから、ここで確実に破棄しますよ」、という意味を伝えたかった可能性もある。

もちろん真実はわからない。わからないけれど、最近では、「これは不要だから捨てますよ」、ということだったのではないかと思うようになった。というのは、そのあとのドイツでの生活の中で、そんな光景を何度か目にすることがあったからだ。日本では、顧客が書いた書類が間違っているからといって、その人の目の前で破り捨てることなど絶対にあり得ないだろう。そんなことをしたら大変なことになってしまうかもしれない。

でも最近になって、不要な書類を次から次へを破り捨てている自分がいる。紙は丸めて捨てるとかさばるからというのが一つの理由だが、もう一つは細かく破り捨てることで、書いてあることを判別できなくするためでもある。そんな風に破り捨てるとき、私の目をじっと見つめながら申込書を一気に破り捨てた彼女のことを想い出すのである。

なお、標題の最後に「女」と付けてありますが、私はドイツ人女性を含めて女の人を軽蔑するつもりでつけたわけではないので、その点はご理解頂けると幸いです。

加筆訂正:2010年6月10日(木)/2012年1月24日(火)

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