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還流独歩

人生は人との競争ではない(と思いたい) 2010.03.12

某会合で恩師の宿谷先生に会った。いろんな話の展開から、物理の公式が導き出される過程の話を聞いた。ボイル・シャルルの法則など、もう忘れてしまったが、その公式を導き出した実験の話は興味深かった。それを聞いて、時折感じていることを思い出した。それは算数の問題である。

簡単な掛け算を考えてみる。仮に「2×3=」という問題が出たら、多くの人が普通に「6」と答えるのではないかと思う。それはもちろん正解だ。でも、「2×3」の答えは実は一つだけではない。その右辺は「3+3」でも良いし、「2+2+2」でも「10-4」でも正解だ。いや「-32+38」だって良いし、「10×5-11×4」でも何ら間違いではない。

「2×3」という問題の答えとして、「=36÷6」とか、「=100-94÷23.5」と書くことは、性格が捻(ひね)くれていると言われるかもしれないけれど、「6」という数字にたどり着くには、無限大の可能性があることは確かだ。その数字は、別に6でも100でも、1億でも、0でも良いと思う。どんな過程を経ても、その答えにたどり着けば良いはずだ。

ある数字目標に向かって、1+1+1のように積み重ねて行く人もいれば、掛け算の人もいるだろう。もしかしたら割り算の人もいるかもしれないし、引き算ということもあるだろう。それが全部、混ざってある一つの答えにたどり着く。その数値ができるだけ大きい方ことが目標という人もいるかもしれないし、その大きさよりも過程を大切にしている人だっているかもしれない。

最近、いろんなところで、いろんな人と会い、いろんな話を聞いて、そしていろいろな思いを巡らせる。自分のことを棚に上げてのことだけれど、人生とは人との競争でも何でもなくて、その中でいろんな数字を足したり、引いたり、掛け算、割り算をすることが、案外、重要だったりするのかもしれないと思えるようになってきた。

もっとも、人生の中の計算が、どういう意味を持つのかについては、自分でも良くわかっていないのだが、足し算は何となくいろいろなことの積み重ねという気もするし、掛け算は人とのつながりが、ある接点を境に増えて行くことのように思う。割り算はというと、作業や困難、喜びや悲しみの分散化だろうか。引き算は打算的でないことや、謙虚さなのかもしれない。

その捉え方は人によって違うだろうけれど、恩師の話を聞いて、そんなことを感じたのである。

加筆訂正:2010年7月28日(水)

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