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還流独歩

冷房設備と環境 2010.07.06

一昨日、冷房を稼働させたことを書いた。冷房すると凝縮水が必ず発生する。いわゆるドレン水といわれる排水だ。事務所のエアコンの凝縮水は、冷媒管と一緒に巻かれた細い管からテラスにそのまま放流されるようになっているのだが、勾配が緩く、排水位置も反対側の離れたところにあるので、冷房運転にすると数分で小さな川ができる。

室内の空気に含まれていた湿気が水滴となってだらしなく流れて行くのを見ると、冷風が得られる代償として、この凝縮水と、脇にある屋外機から外気に捨てられる排熱が同時に発生することがわかる。つまり冷房とは、電力を投入することで、「冷風」と「排熱」と「排水」を一緒につくりだす装置なのだ。

暑い日に冷房が効いた室内に入ったときに、涼しさの有難みは感じられても、そこから排熱と排水が発生していることを考える人は少ない。私だって常にそんなことを考えて生活しているわけではないし、別に冷房設備そのものを否定しているわけでもない。ただ、冷房するということの本質を見直すことは大切だと思っている。

先月の6月29日(火)に書いたように、人間や動物が食べることと排泄を繰り返しながら生きているのと同じように、機械も同様の過程を続けながら稼働していることが見えてくる。一台のエアコンから出る冷風も排熱も排水も、最終的にはは環境という場に捨てられ、私たちが気がつかないうちに、地球という大きな生命体の活動に飲み込まれて行く。

そんなことを考えると、生きることとは何か、機械が動くというのはどういうことなのか、あるいは熱の捨て場としての環境というものの大きさや大切さが、朧(おぼろ)げながら理解できるように思う。いま、環境の時代などと言われているけれど、まずは身近な現象の本質をしっかりと見つめることも必要なのではないだろうか。

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