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還流独歩

自分の居場所と墓参り 2010.08.02

今日は月曜なので、帰省していても電話や電子メールでのやり取りが必要になる。でも快適に作業ができる場所が、実家にはもはや存在しない。私が使っていた2階の部屋は父に占拠されているし、隣りの弟の部屋は囲碁の対局専用部屋になっている。来客用の一番奥の和室は空いているが、机も椅子もない。寝そべっての作業は、さすがに無理だろう。

居間にはソファがあるが、愛用のノート型PCは膝の上にしか置けないし、図面を開いて書き込むこともできない。唯一、作業ができそうなのが台所にある大きめの食卓だが、普段は使っていないから、その上には物が溢れていて、そこではやる気がまるで起きない。つまり実家には、作業できるような机というものがどこにもないのである。

もう離れて20年以上経つから、机などなくても至極当然なことなのだが、それだと実家に帰っても落ち着ける場所がない。つまり自分の場所がないのだ。そもそも、帰省したときに実家で何かしなければならないことも一切ないから、それはある意味、恵まれていると思って逆に感謝しなければならないのだが、することもなく、落ち着ける場所もないと、実に落ち着かない。

北海道に帰省すると私が言うと、休暇でゆっくりすると思う人が多いようだが、実家にいてもまったく休んだ気にならない。ここからどこかへ旅行に行けば違うのかもしれないが、そんな気持ちにもならないから、二日目には「落ち着かない度」が増幅される。

明日は東京に戻るので、身の回りの片付けをして、夕方、一人で墓参りに出かけた。一つは車で5分のところで、もう一つは15分程度だからとても近い。今日は少し雲が出ているが、日射は強く、外にいると暑い。車も日向に少し停めるだけで、中はすぐに熱気に包まれる。

お墓に来ると、不思議と気持ちが落ち着く。墓石に水をかけて、ろうそくを灯し、線香に火をつける。揺らめく小さな炎と、独特の香りを残しながら舞うように消え行く煙を見ると、人の一生とか、遠い先祖のこと、四季の移ろいなどに、不思議と思いを馳せてしまう。夜は隣りに住む親戚に挨拶に行ったら、そのまま飲んで夕食。

明日火曜の午後から、また東京です。

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