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飛込み世界一 その2 2010.10.03

帰り道、歩きながら、飛び込みについて考えてみた。飛込みという競技を私はほとんど知らない。もちろんテレビで見たことはあるけれど、多分、オリッピックのときだけだろう。難易度の高い動きをしながら奇麗に宙を舞って、そして水しぶきをできるだけ上げないように飛込む。高さが10mとはいえ、数秒で終わってしまう競技だ。飛込み競技をしている人には失礼だが、競技人口も極めて少ないだろうし、かなり専門領域の狭いスポーツの一つであろう。

そういえば、日本では、飛込みができるプールそのものが少ない。いつも行くアグリッパバートには、25mのプールの他に、水深が5mもある飛込み専用のプールが併設されている。普通に泳げる時間と、飛込みだけできる時間に分かれていて、週末になると子供や若い人たちが盛んに飛び込んでいる。街の中心部に、こういった施設があるというのは恵まれていると言ってよいかもしれない。日本だと、本当に大きなプールに行かないと飛込み台はないように思う。

それにしても、飛込み競技というのは、なんと言ったら良いのだろうか、禁欲的な競技である。飛ぶといえばスキーのジャンプが挙げられるが、奇麗に、より遠くへ、そして大胆に、という意味において、派手な部分があると思う。それに対しての飛込み。高さ僅か10m。上から下に落ちるだけ。そこに難易度の高いひねりを入れつつ、華麗に飛び込む。お父さんの世界一は凄いが、「みんなで見に行こう」となるような競技ではないことは確かだろう。

水泳は周りとの競争だから、見ていて結構力が入ったりすることもある。でも飛込みを見ても私は興奮することはない。多分、高さ10mの飛込み台に立たされたら気分は激しく高揚すると思うが、見るだけなら気持ちが動じることはないと思う。やってみたいかと訊かれても、その気はまったく起きないだろう。お父さんの突然の質問から、飛込み競技について考えたが、質問の答えは見つからない。今度、水泳の先生にでも訊いてみようと思う。

昔、水しぶきを上げずに飛び込むことに情熱を傾けていた選手の方々で、いま60歳とか70歳の人は、是非、世界選手権に出場して、このお父さんを納得させて上げて下さい。宜しくお願い致します。

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