理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

250円弁当 2010.11.25

確かこの春くらいからだろうか。事務所のすぐ近くに、250円の弁当屋さんができた。通称「ニコマル弁当」と呼ぶらしい。弁当のすべてが250円ではなく、300円とか350円のもある。なぜ知っているかというと、一度試しに買いに行ったからだ。詳しい営業時間は知らないが、多分、11時前から13時くらいまでの短時間営業のお弁当屋さんである。

お昼ごはんの時間帯はどの店も混むので、私はその少し前に時間をずらして食べに出たりすることも多い。そのとき、お弁当屋さんの前を通ると、かなりの人が買いに来ている。確かに250円は安い。その経営努力にも頭が下がる。でも私には安過ぎはしないかという疑問が沸く。口にするものが、はたしてそんなに安くて良いのだろうか。

私はこのお弁当屋さんを批判する立場にないし、悪く言うつもりもない。牛丼だって200円台後半の攻防がずっと続いているから、200円台のお弁当があっても不思議ではない。では400円だったら納得するのかと訊かれたら、素直に頷くことはできないかもしれない。でもやっぱり何だか気にかかる。

このお弁当屋さんから少し離れた別のお店が「お弁当値下げしました」という看板を出した。売上が落ちたのかどうか、私は詳しいことはわからないが、互いの距離を考えると、どうやら値下げ競争に巻き込まれたに違いない。いままで500円で売っていたものと中身が同じような弁当を半額で売られたら、その影響が出ないわけはないだろう。

ものには適正価格があると私は思っている。では、250円弁当が宜しくないのかと問い詰められたら、私は答えに窮してしまいそうだ。「衣食住」の「衣」と「食」の価格競争が激化しているが、今度は「住」にも波及してくるのかもしれない。実際、安さをことさらに誇張した住宅も出てきている。

私は何の因果か、良くも悪くも建築に携わっている。そしていつも思うのは、建築は大量生産ができないということだ。恐縮な例えで申し訳ないが、建売り住宅だって、どこかの工場で組み立てて、それを現場に運んで設置すれば、すべて完了ということにはならない。「住」は「衣食」とは根本的に違うと思う。

私は住宅を安く建てることに反対しているわけではない。高いより安い方が良いと思うけれど、それでも適正な価格というものがあるはずだ。それがいわゆる坪単価や平米単価でどれくらいになるのかというと一概には言えないけれども、建築というものは、過度な価格競争の結果だけから判断されるべきではない。

建築は何年に亘って使うものである。その価値というのは、お買い得感があれば高くなるというものでもない。やはり、それなりの額と価値が釣り合っているべきではないかと、風にたなびく250円弁当の旗を見るたびに、そんなことを考えてしまうのである。

« »