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ゴルフという競技 2011.01.06

ゴルフという競技がある。私はパークゴルフならやったことはあるが、本格的なゴルフをしたことは一度もない。でも多少の関心はある。なぜかというと、止っている球を打って、遠く離れたカップに入れるだけで完結し、やろうと思えば一人でも可能であり、そして審判もいらないという何とも不思議な運動形態だからだ。

他にも球を扱う競技はたくさんある。野球、庭球(テニス)、蹴球(サッカー)、排球(バレーボール)、籠球(バスケットボール)、卓球などだろうか。それらは基本的に、対戦相手が投げたり打って来たボールに対して反応しなければならない。籠球は球を篭に投げ入れる点において少し違うが、攻撃を抑えようとする相手がいる。

ゴルフにはそれがない。球はまったく動かないし、球を打つときに攻撃を仕掛けてくる人もいない。目の前にある球をどのように飛ばすかは自分次第だ。相手から来た球が早過ぎて打てないとか、変化して打ち辛いというのなら、うまく対応できなくても納得が行く面があるかもしれないが、ゴルフはすべて自分の技術力にかかっている。それが問題だ。

もし私がゴルフを始めたら、おそらくのめり込んで、飽くなき向上心とともに技術を追求し続け、ゴルフは人生だとか宣(のたま)うようになるか、あるいは自分にはまったく能力がないと感じて、あっさり諦めるかのどちらかでしかないような気がするのである。ただ、そんな気がするだけで、本当のことはやってみないとわからない。

でも実際に始めると、とてつもない精神的抑圧を感じるのではないかと思う。その理由は先述した通り、止っている何もしない球を打つからだろう。ゴルフボールは微動だにしない。単に的確に打てば良いだけの話だが、それができないと、おそらく悔しい思いをするはずだ。納得のいかない気持を発散しようにも、それをぶつける相手は自分自身である。

聞くところによると、ゴルフをすると、その人の内面に隠れている人間性が出やすいらしい。それは何となくわかる気がする。つまり止っている球に対し、どう接し、どのように対応するかということで、その人なりの性格が滲(にじ)み出て来るのだろう。バッティングマシーンの玉を打ち返すのとは違うということか。

ところで、なぜ急にゴルフの話題になったかというと、それほど特別な理由はない。ただ集中力や精神力が求められる競技なので、実際に私が試してみたらどう感じるのか、以前から気になっていただけの話である。いまのところ、ゴルフ教室に通うつもりなどないのだが、ドライバーで200mくらい飛ばせたら、さぞかし気持が良いだろうと思うのであった。

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