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還流独歩

明るさの再考 その3 2011.05.12

その過程で出るものは熱だけである。その熱は大気中に放出されて環境に捨てられ、大気と雨の循環によって、最終的には宇宙に捨てられる。太陽光を使っても使わなくても誰も文句は言わないし、環境に負担をかけることもない。建築はそんな流れの中に存在すべきものなのかもしれないとさえ思う。もちろん、それだけで現代の建物が成り立つわけではないことは承知している。でもそういった視点が、ずっとないがしろにされて来た。

自然の光で本を読み、仕事ができる環境というのは実はものすごく豊かなことなのではないかと思う。あるいは太陽からの日射をそのまま建物内に導き入れて暖房の代わりに使う。その過程のすべてが使い捨てだ。そうしても誰も困らない。こんな素敵なことはないだろう。でも、周りを見渡してみるとき、特に大きな建築においては、そういったことを優先した事例はあまり多くはない気がする。

本来なら建築は、光や風といった環境からの働きかけを上手に捉えつつ、しかも外部と交感できるような機能を持ち合わせているべきではないかと思う。これも以前に書いたが、それには建築の形態にも大きく関わって来る。でもすべての建築がそういった方向性をもって建てられているわけではない。繰り返しになるが、東京の都心に建っている大型の事務所建築は昼でも人工照明が明るく輝いている。

これまで建築環境学という分野は、それなりに注目を集めては来たが、それを実際の設計に活かすという点において、まだ少し距離があるようにも感じられる。ただ、それは私の偏見であって、しかも自分の努力不足だとも思うが、いまあらゆる方面で、いろいろな人たちが新しい価値観、あるいはこれまで見過ごされて来た大切なものの本質と輪郭を、もう一度はっきりさせる努力を始めていることは注目に値する。

その中の一つが明るさとは何かを考えることであり、これまで明るさの陰に隠れていて見えていなかったものに、もう一度、焦点を当てることなのでないだろうか。これからやるべきことはたくさんある。それはまだ完成されていないし、その目標も高過ぎるかもしれないけれど、何らかの方法で具現化して行きたいと思っている。できるかどうかではなく、やるかやらないかだけのことなのだ。

一人の力ではできないことも、誰かと恊働することで新たな方向性が生まれることもあるはずだ。そんな気概を持ちながら地道に進んで行きたいと思っている。

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