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還流独歩

放射線と生命 その1 2011.05.25

午後、久しぶりに恩師の研究室を訪ねた。前回、来たのはいつだっただろうか。相変わらず照明をつけず、窓からの光だけで執務している光景は昔のままである。それを見習っているわけではないが、私も昼間は、必要以外、なるべく人工照明に頼らない生活をすることがあたり前になってしまった。自然の光で仕事ができる環境というのは実に贅沢なことなのだと思う。

今回の訪問は特に大きな目的はなく、情報交換や雑談のようなものである。こういった時間を取って頂けることはとても有難いことだ。午後3時過ぎにお邪魔し、外が暗くなる7時過ぎまで、本当に多様な話をさせて頂いた。その中でもやはり、震災後の日本の状況と、これからについて多くの時間を割くことになった。現状を考えれば当然のことだろう。

そこで非常に興味深い話題になった。それは次のようなことであった。地球上の生命は長い年月の中で、太陽からの光や熱を感じて進化して来た経緯がある。だから、あたり前の話だが、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚が発達し、そして皮膚は長波長の電磁波である暖かさや冷たさも感じることができるようになっている。

ところで、ウランという物質は、微量ながら地球上に広く分布している元素の一つである。その99%がウラン238であり、それは生命が誕生したと考えられている約40億年前には、ほぼ地球上から消滅していたという。つまり、生命というのはウランという物質への対抗力を持つ必要がない環境の中で進化して来たことを意味する。

自然界にあるウランはアルファ線というものを出して徐々に崩壊し、最終的には安定した鉛になるが、我々人間も、ほかの生物も、ウランから放出される放射線を感じる能力をまったく持ち得ていない。逆に言えば、ウランも含めた放射線を出す物質が極めて少なかったからこそ、生命は遺伝子を連綿と伝え続けることができたのである。

産業革命以来、人間は、石炭や石油、天然ガスといった地下資源を使った技術を、失敗と成功を繰り返しながら、試行錯誤の上に発展させて来た。それらの根源をなす資源は、いずれも生命の歴史とともに地球上で自然に生成されて来たものであり、だからこそ、火と同じように人間が使いこなすことができる。その考えは、自然の摂理にかなっていると思う。

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