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断熱と気密と日本建築 その1 2011.07.12

日本は梅雨が開けたというのに、相変わらず断熱材の話を繰り返している。おそらく、より暑さが助長されているに違いない。どうせなら寒い冬に触れた方が実感が沸くし、多少は有難いのかもしれないとは思うのだが、昨年の夏も何度も書いたように、暑い時期にこそ熱について考えることは大切ではないかと無理なこじつけをしてみたりする。

ところで昨日のことだが、一週間程前に、広島県の宮島を訪ねて来たという知人の建築家から写真が届いた。私は行ったことがないので知らなかったのだが、宮島には、豊臣秀吉が建立した入母屋造りの「豊国神社」というのが残されており、戦(いくさ)で死んだ武士の魂を慰めるための読経の場としてつくられたという。

しかし、秀吉は竣工を待たずに死去したため、工事が中止され、天井や入口が未完成のまま現在に至っているらしい。また内部が広く、畳が857枚敷ける広さがあることから「千畳閣」と呼ばれていることもわかった。着工が1587年とのことだから、完成していたら約400年になるという重要文化財の一つである。

さらに興味が沸いて来たので検索してみると、短くまとめられた動画もあり、建物の様子が少しだけわかるようになっている。古くさい言い方になってしまうが、実に便利な世の中になったものだ。それを見ると深い庇の下に回廊が巡り、太い柱が続く内部の大経堂は確かに広くて開放的であることがわかる。

いつの間にか観光案内になってしまったが、送って頂いた写真を拝見し、また動画や他の写真も併せて見てみると、圧倒的な迫力を持って迫り来る日本の社寺建築を前にし、正直なところ、断熱について考えるのが無駄にさえ思えるような気がして来るのである。日本建築も好きだし、断熱も大切だと思っている二つの気持が噛み合ないのだ。

普段から、あれほど断熱の大切さを力説しているのに、伝統的な日本建築は完成度が高過ぎて、断熱の重要性ということが入り込む隙間は微塵(みじん)もないのである。神戸芸工大の小玉先生のことばを借りれば、断熱推進は「北の発想」であり、開放を「南の発想」の違いと捉えれば、相反して当然のことなのかもしれない。

写真を送ってくれた建築家は、次のように書き添えてくれた。「風がよく通って涼しく、海が見えて、中に入ると皆伸びきっていて、そうやって過ごすのが心地よい建物でした。こういう心地良さって何なんだろうと考えているところです」。そのことばに対し、私はおおむね、次のような返事を書いた。

「それはまさに日本建築の持つ良さの一つであり、数値では計れない何かです。私も普段から断熱について、あれこれ思考していて、断熱の悪い冷蔵庫と、良いのとでは、どちらを買うかというようなことを問いているのですが、それと日本建築との融合が、私の中では、どうもまだ十分には消化しきれていません(以下に続く)。

日本で建てられる住宅のほとんどは、伝統的な日本建築から離れ過ぎています。写真のような社寺建築はさらに別なのでしょうが、その差が極端過ぎて、何だかいつも考え込んでしまうのです…」。これは紛れもないいまの私の気持である。だからといって、断熱が不要などと主張を正反対に変えることもない。

深い軒の出、影を落とす縁側や回廊、襖を外せば内部空間が一つになる構成は、日本建築の大きな特徴だ。でもそれがいまの建築、特に住宅に受け継がれているかというと、ほとんど皆無だろう。前にも書いたが、現代住宅は社寺建築の延長ではないし、その良さといえば木造ということだろうか。狭い敷地で、社寺建築の良さを実現することは難しい。

話は少し逸れるが、断熱と気密を高めると、家が呼吸しないと主張する人がいる。建築の壁や屋根は人間の皮膚のような呼吸はできないが、壁を通じての熱と湿気の移動は必ずある。身体をビーニル袋で巻けば、必ず内側が曇るように、それを適度に逃がすことは大切だ。でも熱の移動は、できるだけ抑えるべきだと思う。

家の呼吸に関していえば、いまも内部空間は湿気を通さないシートを施している事例が多いが、冷房の普及とともに逆転結露の問題が生じてからは、調湿機能のある気密フィルムが注目され始めている。壁には適度な透湿性能があった方が良いと私も思うが、これは内部の仕上げに調湿系の素材を使うかどうかでも違ってくるのでないだろうか。

加筆訂正:2011年7月17日(日)

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