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還流独歩

集中と分散 その2 2011.07.17

それは機械だけでなく、ほかにもいろいろなところに当てはまる気がする。例えが、身の回りのほんの些細なことで恥ずかしいが、しいて挙げると、財布にクレジットカードを入れている場合だ。財布をなくすと、現金もカードも失ってしまう。だから個人的には、分けて持っている。ただ、どちらも一つの鞄に入れておいて、それをなくしてしまうことになれば意味がないが、分散して持ち歩けば、一度に二つを失うことは避けられる可能性は高まる。

話の方向が、いきなり視野の小さい方向へ進んでしまったが、集中と分散を大きな視点で考えると、例えば、組織とかエネルギーの供給という話にまで広がるのではないだろうか。効率を考えると、会社組織や、社会基盤をつかさどる施設といったものは集中していた方が良い面がある一方で、一つに集約されていることが最適な答えかというと、必ずしもそうとはいえない面があるのではないかと思う。

いま、取り沙汰されている電力供給の問題も同じであろう。化石燃料を使う巨大な技術というのは、効率を重視するから、できる限り一か所に集中して立地させることになる。その一方で、自然からの働きかけを利用する技術というのは、立地的には集中するかもしれないが、個々の設備は基本的に分散して設置されることになる。環境とうまく付き合う方法は、大きな技術で受け止めるのではなく、「小さく」て「たくさん」が良いのだ。

地下資源は世界に偏在しているから、どうしても遠くから運んで来なければならない。化石燃料を燃やして得られる電力も同じ面を抱えている。その一方で、誰もが手に入れられる地上資源は、必要なところで得ることができる。光も風も雨も、無理して遠くから持ってくるものではないし、実際、そんなことはできない。環境からの働きかけは、どこにでもある。だからこそ、得られるその場で適度に使う。それが良いと思う。

いま、将来の電力供給をどうするかが大きく取り沙汰されている。以前にも書いたが、そこには供給する側だけの視点でしか捉えられていない。電力は必要だが、それをどう使うかの議論がないままの状況が続いている。多くの人は、電気をたくさん欲しいとは思っていないのではないかと思うのだが、どうだろうか。「ほどほど」ということばあるように、「適度な分」だけがあればそれで良いのではないかと思う。

集中した技術と、分散されているただで手に入る地上資源をどう使うか考えて行くことが、これからますます需要になるだろう。だからこそ、建築の分野に課せられた責任は大きい。そう思っている。

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