日土小学校への旅 その3 2011.08.10
廊下の壁伝いに設けられた長椅子、段差のある部分にしつらえられたさりげない棚部分などを見ると、この学校が実に豊かな広がりをもっていることがわかる。中校舎にある階段も川からの採光を上手く取り入れ、それを反射させるために設けた勾配天井があり、その上部は収納庫として利用するなど、本当に良く考えられたつくりになっている。
松村は、現場が始めると、子供たちの目線が大切だと言って、身体を這うようにして監理を行っていたと案内の方に聞いた。「建築というのは、何気ない美しさ、わざとらしくないのがいい。滲み出て、心に染みるような、そんな建築であってほしい」ということばを残している。文芸春秋に掲載された写真には、サンダル履きの松村が写っている。
午後から、併設の体育館内で「夏の建築学校2011」が開かれ、第一部の学習会では、神戸芸術工科大学の花田先生と、京都工芸繊維大学の松隈先生の講義があった。そのあと「みんなで語ろう日土小」という二部が開かれた。松村先生の後輩ということで、この視察旅行に参加した我々側からの質問や意見が相次いだが、地元の方からも発言を頂いた。
「日土小は本当に気持が良い学校なんだ」「子供の目線でつくられている」「こんな建築がまだ残っていたんだ」「帰って来る場所がある」「建築が好きになった」。そして「あり続けるものを通じて、過去と未来がつながる」ということばは、建築保存というものが、誰のためになぜ行なうかという質問に対する真正面からの答えだろう。
この勉強会では、日土小学校に対する感想を記入する質問用紙も配られた。そこに私は次のように書いた。「昼光の取り入れ方」「細部の細やかさ」「平面のみならず断面計画の重要性」「空間的豊かさ」「保存と改修による価値の増幅」「素敵な建築は過去を引き連れて未来へと続いて行く」。それが私の偽わざる気持である。
日本に数多くの学校があるけれども、卒業してから、それを見に行きたいと思わせるような、真の学校建築と呼べるものは、一体、どれくらいあるのだろうか。コンクリート校舎でも懐かしさくらいは感じるかもしれないが、それにもう一度触れてみたいという気持を沸き立たせてくれる校舎は、ほとんど残されていないように思う。
夏の熱気がこもる体育館で開かれた3時間近い勉強会は、本当に暑かったが、いずれも興味深いもので、貴重な体験をさせてもらうことができた。保存と改修という作業に携わられて来た関係者の方に心より感謝するとともに、日土小学校が貴重な遺産として、より多くの方に認められる日が来ることを願わずにはいられない。
加筆訂正:2011年8月23日(火)/9月2日(金)
文章が途中で切れたままになっている箇所がありましたので、加筆訂正しました。