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還流独歩

屋根をかける文化と北国の住まい 2011.08.13

先週の日曜から、二泊三日の視察旅行に参加したが、それを通じて、日本古来の和風住宅の特徴は、屋根をかけることだと改めて気づいた。あたり前のことだが、どの家にも屋根はある。例えば田舎の風景に溶け込んだ伝統的な住宅や、今回、四国で見かけた同じような住まいには、庇の出が大きな屋根が幾重にも重ねられている。玄関や縁側、あるいは張出した部分には、単独で屋根が設けられている。つまり、1階と2階の間の上下の間隔の狭い部分に屋根が幾重にか設けられているのだ。それらを見ると、日本古来の建築の屋根というのは、階、あるいは層ごとに適度な間隔で重ねられるものではないことがわかる。これはもはや、多重屋根文化といっても良いだろう。何をいまさらと言われるかもしれないが、そういった古来の住宅は、たくさんの屋根を重ねることで重厚さと美を演出して来たのだと思う。

歴史の古い地域には、純粋な伝統建築がいまもしっかりと根付いていて、私が時折触れるように、日本的な和風住宅が建てられる余地がこの国のどこに残っているのか、というような中途半端で無謀な発言は、どうやら間違っているのではないかとさえ感じ、実は反省しているところである。しかし、すでに建っている伝統的住宅と、これから建てられるであろう新しい日本の住宅を比較すると、その容姿や形態に大きな差が出て来る場合がほとんどではないだろうか。実際、家が建て替えられる場合、それまで引き継がれて来た伝統的な面は、大抵の場合、失われてしまうことが多いように思うから、そういう面では、私の主張はもしかしたら大きくは外れてはいない気もするのである。

ところで、アイヌの人たちが支配していた郷里の北海道は、日本人から見たらその歴史はまだ浅いから、内地(本州)で見られるような数寄屋造りを完璧に踏襲した住宅を見かけることは稀である。ただし、120年ほど前に北海道へ入植して来た頃の人たちは、生活に余裕が出て来ると、郷里から大工を呼んで、同じような伝統的な住宅を建てたので、それらの一部が、いまもごくわずかに残されてはいる。しかし、その価値を誰にも見いだされぬまま、いつの間にか解体されてしまう運命を辿る古民家がほとんどのようだ。それを残そうと懸命に活動している人たちがいる一方で、いま北海道で建てられる住宅の大半は、雪と寒さに真剣に向き合わざるを得ない北国の住宅とは何かを追求しながら進化して来た経緯がある。

幾重にも屋根が重なる古風な日本の住宅を見るたび、これからの日本の住まいや、寒冷地の建物はどうあるべきかということに思いを巡らせてしまうようになった。特に雪が多い寒冷地では、積雪荷重を考慮し、熱損失を最小限に抑えることを優先するのであれば、屋根面積と外表面積の両方をできるだけ少なくすることが求められるはずだ。だからといって、それらが北国の住まいのすべてに要求される重要な事項なのかどうかについては、建築にかかわる人、それぞれの判断に任されてしまう面があって然るべきだと思うし、北海道の住まいは、基本的に同じ方向性を持ちつつも、やはり多様であるべきだ。だからこそ、逆に冷房を主体とする多くの地域での住まいのあり方に対する明快な答えを簡単に導き出すことはできないと思う。

日本の伝統的な住宅と、北国の住まいを比較することなど、意味もないような気もするのだが、一見、結びつかないようにも見える重要な示唆が、その裏側に含まれているのではないだろうか。

加筆訂正:2011年8月20日(土)

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