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還流独歩

注文住宅への注文 その1 2011.09.05

札幌市立大学で教鞭を取る研究室の後輩から、先日、某住宅協会が行なった講演会の報告と併せて、一人の大工さんから頂いたという発言を知らせてくれた。その方の意見によれば「最近の家は、建物(House)はあるが、家族(Home)というものを間取りに感じられない」という。それは大工さんの感覚だが、なんとなくわかるような気がする。

そして、いわゆる注文住宅に設計を依頼する人たちの多くが、間取りから家の設計を依頼するらしく、最初の段階で部屋数を指定してする人が9割だというのだ。その後輩は続ける。建売やマンションも、結局は予算に対して希望の部屋数から物件を選ぶ人が圧倒的に多く、また住宅誌の内容も、地域か間取りに大別できるのではないかと指摘する。

家はできるだけ大きく、そして部屋数もより多くしたいと考えている人は、おそらく少なくないと思われるが、その大工さんの意見は的を得ているのではないだろうか。ある建築家の嘆きも聞いた。「人はなぜ大きな家を欲しがるのか」と。建築主の気持もわからなくはないが、大きいことが家の価値を高めるわけではない。

それと同時に、部屋が多いことが住まいにとって最も重要かというと、必ずしもそうは言い切れないのではないかと思う。大きな額を支払って建てる家は、やはり部屋の数が多くないといけないのだろうか。それは絶対に譲れないと考ええている人がいても良いとは思う。ただ多くの人が、何となく部屋数にとらわれているような気がするのである。

私は部屋をつくらない方が良いと言っているわけではない。家を建てるときや、集合住宅を購入しようとしている人が部屋数にこだわるのは、現状の住まいに満足していないからだろう。子供が大きくなってきたから、そろそろ子供部屋もあるような家を建てたい、あるいはそれに見合う規模の家に住み変えたいと感じるのは自然なことだとは思う。

土地が広い都市の郊外や、人口密度が極め低い農村や漁村などでは大きな住宅も見られるが、日本の大都市に見られる住宅は、諸外国と比較すると小さい方だ。その規模の住まいの中を、さらに小割りにして、決して大きくはない空間を、さらに小さく区切って使うことは、はたして望ましい方向なのだろうか。

日本古来の住宅のように、襖を開けたらいくつかの和室がすべてつながるというような大きさが可変するような住まいは、いまやほとんど見られない。それは日本の住宅の変遷でもあるし、無論、家の大きさとも関係してはいるが、昔のような開放型の住まいは、夏の暑さを和らげる効果を多少なりとも持っていたはずだ。

加筆訂正:2011年9月8日(木)/10月8日(土)

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