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還流独歩

遅延到着/快適空路 その3 2011.11.13

機内では、懸案の名刺とPCの中にあるアドレス帳の整理を行なう。といっても作業できる量は限られているし、ほとんど気休めみたいなものだ。それにしても、いまの時代、頂いた名刺を何かの機会に再び探し出すということが、一体どれくらいの頻度で生じるものなのかと改めて考えた。いまや名刺がなくても、知人やインターネットからの情報を介して、その相手の方に連絡がつくことは十分に可能だろう。この件については、また改めて考えてみたい。

日本までの距離が残り3分の1くらいになった頃、一つ後ろの座席にいる女性から話しかけられた。私と同じ列の男性との会話を聞いていたのだろう。少し年齢が高めのその女性は、日本に来るのが12、3回目だという。夫が何かの研究者で、もう定年を迎えたものの、その専門分野において日本との関わりがいまでも続いているらしい。その女性とも、いろいろな話をした。地震、原発、福島、政治、将来、日本人観といったことについてである。いずれも難しい話だ。

日本人が議論好きでないかというと、決してそうではないだろう。自分の意見を持っていないわけではないし、人と意見交換したり、考えを戦わせることはよくあることだ。ただ、いつも思うのは、ドイツ人、あるいは日本人以外の人と話すときには、自分の意見を持っていないと会話に入って行けないし、意思の疎通が成り立たないということだ。無論それは、日本人同士でもあたり前のことだとは思う。

でもやっぱりドイツ人と話すときには「Ja/ヤー」と「Nein/ナイン」の二択が求められる。かといって、彼らが曖昧な表現を使わないかというと、そうではない。「ヤー」と「ナイン」を混ぜ合わせた「ヤイン」もよく使われるのだが、日本人と話すとき以上に明確さがより求められることは間違いないだろう。専門的なことはわからなくても、自分の意見を表明しない、あるいはできないというのは、彼らからすると理解に苦しむことなのだ。

その女性とは30分以上も話し込んでしまった。後から名刺を頂いてわかったことだが、夫はキール大学医学部の生化学分野における名誉教授であった。2週間近い滞在中、札幌へ二往復して、名古屋にも行くようなことを言っていた。そしていま、福島の飯館村の人たち20名ほどを、一時的にドイツへ招待する計画を立てているという。その話も少し聞きたかったが、飛行機が成田空港に着いて、降機するときに聞いたので、ほとんど時間がなかったのが残念である。

フランクフルト空港までは落ち着かなかったが、そのあとは順調で、都内への移動も問題なかった。今回の日本滞在は、わずか10日間である。充実した時間を過ごしたいと思う。

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