理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

第二回 北方型住宅賞に寄せて その3 2011.11.16

「三月に地震が起きて、家族とは何だろうと考えるきっかけになった。家づくりを通じて人間の力が確認できるのではないか。どのような暮らし方をするかを考えるときには、住まう人の意識が明確に求められる」。いま書いたことは、座談会を聞きながら、私が取り急ぎ書き留めただけから、実際の発言の内容とは若干の相違があるかもしれないが、基本的な主旨は大きくは外れていないと思う。多くの意見に頷かされ、そして勉強になった。

1980年代から90年代にかけて、北海道大学の荒谷先生が提唱していたことを想い出す。「北国だからこそ得られる豊かな暮らし方があり、住まいはそれを享受する場でなければならない」というような主旨だったと思う。北海道の冬は厳しい。断熱材も何もない貧しい家屋の建設と、決して肥沃とはいえない大地の開墾から始まった開拓の歴史を思うと、いまの生活は比較にならないほど恵まれている。そして、それをさらにもっと豊かにしようという段階まで来た。

子供の頃、朝起きると、自分の呼吸がシバレて、顔の周りの布団が霜になっていたことが何度かあった。ドイツの暖房の歴史についても紆余曲折があるが、おそらく1970年代には、どの部屋にも温水暖房が備えられ、家の中のどこにいても暖かい環境が得られていた。それに対して、自分の家は1980年の少し前まで、だるま式の石炭ストーブしかなかったし、お風呂を沸かすのも同じ石炭だった。つい最近まで、北海道の家には極暖と極寒が混在していたのだ。

それでも北の大地に住む人間は、北海道を誇りに思い、つかの間の夏を惜しみながら、何世代にも亘って寒さや雪と戦って来た。日本の都道府県の中で、郷土に対する誇りと愛着心が極めて高いのも頷けるだろう。もちろん、私もそれを強く感じている。そういえば、学生時代、同じ北海道の出身の先輩が、設計の授業のときに描いた図面に煙突があったことが同期の笑いを誘ったと聞いたことがある。私は笑えなかった。いまでこそ違うが、北海道の家には必ず煙突があった。

いや、そんな家はまだまだ健在だ。1970年から80年に建てられた住宅では、いまも石油ストーブを使っている家が多いから、煙突があってあたり前なのである。もちろんドイツでも煙突がある家が、ほとんどではないだろうか。地下に置かれたガス焚きの温水ボイラーには煙突が必要だし、毎年、秋になると煙突掃除を告知する貼り紙を目にする。余談だが、ドイツでは、豚と煙突掃除人は、幸せを運ぶ象徴なのである。

話が脱線してしまったが、北海道の住宅は、断熱の悪さから引き起こされた屋根の氷漏れ(すがもれ)や、水蒸気によるグラスウールの腐敗やカビの発生といったことを経験しながら、試行錯誤を続けて来た。そういった問題が少しずつ解決に向かっていた頃、荒谷先生は技術的なことも需要だが、北国での暮らし方の大切さにも目を向ける必要があると提言し始めた。それからまた歳月が流れ、カナダの技術などが導入され、最近ではドイツが注目されている。

加筆訂正:2011年12月10日(土) ある調査によると、ふるさとへの愛着度が一番高い都道府県は沖縄で、北海道は二番目でした。三番目以降は、京都、福岡、高知と続いています。

« »