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名刺の整理 その3 2011.12.17

であれば、そういう方の名刺を取っておいても、また意味がないことになる。つまり極端な話、頂いた名刺は一枚も手元に残しておく必要がないという結論になる。でも、それが本当にできたら素晴らしいことだ。いや実際、世の中には名刺の情報を読み取るソフトがあって、手で入力しなくても、磁気媒体に簡単に変換して保存できるらしい。

私のように、名刺の整理で頭を悩ませている人は、そういったものを積極的に使えば良いと思うのだが、ものごとの本質を見極めたい性分の私は、意味のない情報をただ闇雲に増やすのは嫌いなのだ。いくら磁気媒体が便利で、空間的場所を必要としないとはいえ、頂いた名刺を単に事務的に磁気として読み込ませるのには抵抗がある。

私の手元に残してある名刺と、磁気媒体として保存してある方々の情報は、大手の企業が持つ何十万、何百万という人たちを管理する、いわゆる顧客名簿ではないから、その数も極めて少ない。でも、こうしていまも活動ができるのは、何度も書いて来たように、そういった方々とのつながりがあるからに他ならない。

これを書いていて思ったのだが、結局のところ、名刺という紙媒体にこだわっているのは、目で簡単に確認できて、そしてその存在が手でも感じられるという形でのつながりを単に残しておきたいということなのだろう。それが良いとか、正しいとかなどわからないけれど、二つだけになった名刺箱を見て、そんなことを思ったりした。

丸一日半の作業の結果、名刺の数は800枚くらいに減り、名刺箱は5つから2つになった。これで、どの名刺を見ても誰なのかすぐにわかる状態にできたと思う。ただ実は、ドイツ国内や近隣諸国に行ったときに頂いた海外の名刺の数も同じくらいあり、名刺箱も同様に2つあるので、手元には4つ残されている。

海外の名刺も整理しないといけないのだが、こちらはそのほとんどが、どこでどのような状況で頂いたものかすぐに想い出すことができる。しかもそのどれもが、日本の方から頂いてきた貴重な機会を通しての蓄積に他ならない。これは本当に有難いことだと思う。自分にとってかけがえのない財産かもしれない。

これらの名刺を見ながら思うことは、名刺をたくさん頂く機会があるということは実に感謝すべきなのだが、むしろ、そこで得たつながりを、どう活かして行くかということの方が極めて大切なのではないだろうか。しかし、その中から、互いに信頼を築けるという人は、ほんのわずかでしかないはずだ。世の中を達観してして言うわけではないが、人との付き合いは、実はそんなものなのかもしれない。

ともかくこれからも、そういった人たちとのつながりを忘れずに活動をして行くしかないのだと、頂いた名刺を何度も見返しながら、改めてそう感じているところである。

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