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還流独歩

ドイツのLED照明事情 その2 2011.12.19

ドイツ人は自然の光で仕事をすることが大好きで、それが執務空間にとって極めて大切な条件であると考える人が多いのに対して、日本の人は、そんなことにはほとんど興味を示さないことを私は知っている。中には、太陽の光がたくさん入ると日焼けして肌に悪いと言う女性がいる。その気持ちもわからないではない。半分北欧のようなドイツと、半分は亜熱帯といっても良いアジアの中の日本との気候の違いなのだろうか。

そういった肌を大切にしたいという女性たちを敵に回したくはないのだが、自然の光で作業ができる、あるいは仕事ができるというのは、この上なく贅沢なことではないかと私は思うのである。晴れている日であれば外は明るいけれども、曇っている日や、雨の日など、常に明るいとは限らない。だから必要に応じて人工照明を補助的に利用するというのが本来の姿ではないだろうか。でもそれはおそらく少数派の意見であって、主流にならないことも私は知っている。

ドイツの人なら誰でも気づいている。人工照明に頼らず、自然の光が溢れる空間の方が生活に潤いを与えてくれることを。夜になって、天井から放たれる均一な蛍光灯の光よりも、間接照明や小さな白熱球の灯り、あるいはろうそくが放つ仄かな灯りと陰影がつくり出す心地良さは、蛍光灯ではつくれない。明るいことが贅沢ではない。暗いことが貧乏でもない。何度でも書く。本当に必要な明るさとは何かを考えることが、まずは必要ではないだろうか。

夜の日本列島を写し出す人工衛星からの写真を見たことがある人は決して少なくないだろう。それは島国であることを忘れてしまうかのように、日本という国を奇麗につなげるかのように鮮明に浮かび上がらせている。もし、その明るさのすべてがLED照明器具に変わったとしたら、おそらく少しは暗くなるかもしれないが、その光り方はほとんど変わらないと思う。同じ明るさを維持しながら、消費電力を抑えることがなぜ問題なのか。そう訊かれそうだ。

LED照明にさほど関心を示さず、旧来からの照明にこだわり続けるドイツは、環境先進国なのだろうか。LED照明を使わないことで、ドイツは何か槍玉にあげられることがあるのだろうか。ドイツの政策は何か華々しくて、最先端を行くまばゆいばかりの環境大国だと思っている人には申し訳ないが、やることは単に地味なだけの国なのだ。それよりも、日本の現状を直視し、原子力発電から撤退すること即座に決めたドイツを、日本の人はどう感じているのだろう。

LED照明を推進する日本と、それにはあまり関心がなく、むしろ照明には、それなりのこだわりがあるドイツのどちらが、これから進むべき方向なのだろうか。二者択一で明確に答えなさいと、もし問われたら、野暮ったくてダサイ国と思われている保守的なドイツの方が、常に本質的なことを探り出し、それを大切にしようとする意識が感じられるから、そちらに賛同したいと私は答えると思う。それは偏見だとか、勝手な意見だと言われようが、そう感じるのだから仕方がない。

結局のところ、ドイツの人が、まずは建築的な解決方法を望む傾向があるのに対して、日本の人は建物の性能にはほとんど目を向けず、技術的な対策を施すことで、最適な明るさや温熱環境が実現できると考えているのではないだろうか。でも、日本とドイツは気候が極めて異なる。だから、どちらが正しいかを決めるのは難しいが、建築とはどうあるべきかという本質に迫ることが大切だと感じるなら、その答えは自ずと見えて来るように思うのである。
 
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