降誕祭状2011 その1 2011.12.20
昨年、というか、今年と言った方が良いだろうか。お世話になった方々に、是非とも送ろうと思っていた年賀状を出すことができず、それがずっと心に引っかかっていた。特に今年は、年賀状を頂いた方々に返信さえしないという実に失礼なことになってしまったので、暑中見舞いを送って、ごまかそうと思っていた。しかし、それさえもできなかった。何という怠慢だろう。最近は年賀状を書く人が減って来てはいるらしいが、それでもお世話になった方々に、せめて一年に一回くらいは、紙媒体での挨拶をするくらいの気持の余裕を持ちたいものだ。
ドイツに来てから、降誕祭状を頂く機会が増えたので、私も真似をして、2005年くらいから数年ほど、同じように、この時期に挨拶状を送り始めた。といっても、続いたのは数年だけであった。日本人だから、降誕祭の前に挨拶状を送ることが良いかどうかは意見が分かれると思うが、新年を迎える前に、今年一年の御礼を伝えるというのは、決して悪くないと思うし、年賀状のように年が改まってから出すよりも、逆に新鮮ではないかと都合良く解釈している。
そして今年、お世話になった方々に、久しぶりに降誕祭状を出すことにした。自分本位で申し訳ないのだが、心のつかえを取りたいという気持も大きい。でも、市販の降誕祭状では味気ないから、以前、出していたのと同じように、東京とケルンで撮った写真を入れ込んだものにすることにした。この作業というは意外と時間がかかるもので、始めるにしても、なかなか取りかかれないのが、定期試験前の中学生のようだ。降誕祭状を早く送りたいという気持と裏腹なのである。
今年の降誕祭状の作成には、ほぼ丸一日を要した。まず、写真を選び出すのに時間がかかる。これがいいとか、こっちの方が良いとか、受取った人にとっては、おそらくどうでも良いことだと思うのだが、やはり悩んでしまうものなのである。また、割付けて行く作業も、それほど簡単ではない。それでも少しずつだが、送っても、そう恥ずかしくはないと思える形になってきた。あとは裏面の住所も必要だだがら、両面印刷をしなければならない。
それから肝心なことは、誰に出すかということだ。これも何かと悩ましい。半年に一度くらい、送る相手を確認すれば良いのだが、なかなかできないものである。今年頂いた名刺や、これまで作成した住所録を見ながら、送る方の名前を書き出して行く。これもすぐには終わらない。ある方の名前から、別の人が思い浮かんでしまい、送付先が次第に増えて行く。結局、日本へ約100通、ドイツ国内へ40通ほど送ることにした。
次に印刷である。用紙は厚手の上質紙でなければならないので、いつも行く近くのコピー店で購入した。文房具店で、まとまって売っている30枚入りのようなものは高く、コピー店のばら売りの方が安いのである。ところで、割付けた写真は小さいとはいえ、やはり高画質で印刷すべきだろう。比較のために何枚か印刷してみたが、やはり微妙な違いが出るのがわかる。もっとも、受取った方は比較のしようがないから、少し粗くても良いのかもしれないが、そこは妥協せずに行こう。
降誕祭までの時間を考えると、まずは日本に送るのが先だ。そしてついに宛名を書き始める。一言、書き添えるのも大切なことだ。あいにく汚い字だが、どうかお許し頂きたい。そして約100通の束ができ上がった。郵便局へ行き、切手を購入し、作業机に座って一枚ずつ切手を貼って行く。シール式なので、濡らして貼る切手よりかは楽である。こういう単純作業というのは、数が少なければ意外と楽しいものである。積み重なる降誕祭状を見るのは一つの優越感でもある。
最後に、「JAPAN」と書き添えてあるかどうかをもう一度確かめ、一束にして輪ゴムをかけ、用意してあった紙に「全部日本行き」と書いて挟み込んだ。そして、郵便局の脇にあるポストに投函した。12月中旬に日本宛の降誕祭状を発送することができて気分が一気に楽になった。これで、おそらく降誕祭前に日本に届くだろう。だた最近、やけに時間がかかることも多いようなので、もしかしたら間に合わないかもしれないが、それは仕方ないと諦めよう。