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還流独歩

大阪まで来た男 2011.12.30

大阪に来るのはいつ以来だろうか。全然、想い出せない。でも何年か前には、確実に来ている。いや、毎年に一回くらいは来ている気もするから、あたり前すぎて記憶に残っていないのだろう。「商人(あきんど)の大いなる下町、大阪」。そんなことを言うと、大阪に住んでいる人から批判を受けそうだが、意外と好意的に受け止められる気もする。普通の人が、いわゆる漫才の「ボケとツッコミ」を楽しみながら活き活きと生活しているという印象が私にはある。その反面、一般の人には知る由もない深くて危険な闇の世界が潜んでいるのも大阪の一面だろう。

「おっちゃん、前、開いてるで〜」。こう言い放ったのは、電車の席に座っていた女性である。この話は、大阪出身の知人から人づてに聞いたので、真偽のほどは疑わしいけれど、目の前に立つ男性の股間部分が開いてるのを、若い女性が鋭く指摘するということは、大阪だったら本当にあり得るかもしれないと思う。その男性が「なんや今日は下半身の風通しが良過ぎると思てたんや。姉ちゃん、ありがとな。これで風邪引かんと済むわ」。そう切り返しながらファスナーを閉めたかどうかは知らないが、これもまた作り話で終わらせてしまうには惜しい気もするのである。

そんな大阪には、東京とは違う面が多々ある。例えば、地下鉄から私鉄へ乗り換えるときの表示板は、東京では「東急東横線」とか「京王井の頭線」、「西武新宿線」あるいは「京急線」「京成線」と書かれている(ような気がする)。一方、大阪は「阪急電車」とか「京阪電車」、「阪堺電車」というように、私鉄の会社名の後ろに「電車」という名称がつけられていることが多いように思う。別にどちらが正しいということではないのだが、東京の表示に慣れていると、「××電車」という表示に、どうしても違和感を覚えてしまう。それは何かが足りないからかもしれない。

JR渋谷駅で降りて東急に乗り換えようと思ったとき、もし「東急電車」とだけ書かれていたら問題が起きそうな気がするのだ。というのは「東急東横線」と「東急田園都市線」の二つがあるからだ。阪急電鉄の人に言わせれば、「東横線は東急電車1号線で、田園都市線は東急電車2号線って言えば済むさかいに…」となるのかもしれない。ちなみに、同じくJR渋谷駅に乗り入れている京王電鉄は、井の頭線しかないので「京王電車」と表示しても問題はないだろう。ということは、JRの駅に二つの路線が接続している私鉄は東急だけなのかもしれない。調べたら、どうもそのようだ。

今日は一体何が言いたいのか、自分でも良くわからなくなったが、今度は駅名に目を向けると、大阪の西成区にある「天下茶屋」は「てんがちゃや」と読むのに対して、東京の「三軒茶屋」は「さんげんぢゃや」で、「ちゃや」の読みの濁り方が違うというようなことも指摘したいのである。それを言うなら、東京の「日本橋」は「にほんばし」と読むが、大阪は「にっぽんばし」であることの方を先に述べるべきだ、というお叱りのことばが、どこからか聞こえて来そうである。他にもエスカレータの立つ位置が左右違うなどというのは、もはや言うまでもないことだろう。

誤解のないように言えば、ここで大阪を茶化したいのではなく、結局のところ「郷に入っては郷に従え」という先人たちの言葉をそのまま素直に受け止めるべきなのだと思うのである。大阪に行ったときに、東京が日本の中心で、しかも何につけても一番だというようなこと言ったり、東京的思考回路を無理に押し付けたりすることが最も嫌われるのではないだろうか。それは大阪に限った話ではないはずだ。日本のどこへ行っても、結局は同じことが言えるのではないだろうか。要は、その土地を楽しむ気持があるかどうかで大きく違って来ると思うのである。

最後に、大阪を持ち上げるつもりはないけれど、もし大阪が日本の首都になったら、それはそれでかなりの問題が起きそうだが、その一方で、もしかしたら日本が見違えるくらいに活性化するかもしれないと大袈裟なことを思ってみたりもするのである。大阪の人が持つ類い稀な情報交換能力は、まさに互いに「交感」する文化の成せる技に近いのかもしれない。また機会をつくって大阪に行ってみよう。だから、「あなたのような人は来ないで欲しい」とは言わないで下さい。大阪の皆さん、どうぞ宜しくお願い致します。

加筆訂正:2012年1月8日(日)

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