目の前を通り過ぎた1ユーロ硬貨 その3 2012.02.28
そんなことを考えたら、もう少しで春を迎えるベルリンの景色が何だか曇って見えて、心が苦しくなった。小銭を渡すくらいできそうなものなのに、どうしてできなかったのだろう。そういう行為が恥ずかしいからなのだろうか。いや、小銭を渡すことが、彼にとって良くないことだと考えたのだろうか。何だか自分でも良くわからなくなった。
欧州連合の中でも、特に裕福な国の一つであるドイツの大きな都市にさえ、物乞いといわれる人は、いまだにたくさんいる。人の多い通りや、商店街にあるスーパーマーケットの脇には、必ずといってよいほど、小銭を恵んで欲しいと言う人がいるのだ。その一方で、日本の電車や地下鉄の中、あるいは街の中で物乞いのようなことをしている人を、ほとんど見かけたことはない。
ドイツも日本も裕福で恵まれた国である。でも、すべての人がそれを享受しているわけではない。いわゆる発展途上国と言われている国ほどではないのかもしれないが、貧富の格差はそれなりの大きいし、その格差も年々、より顕著になっているようにも思う。それが資本主義だと言われればそれまでだが、そうして世界は回っている。
翻って、今日、出会ったその男性は、一体どういう暮らしをしているのだろう。毎日、電車に乗って、わずかの小銭をもらいながらの生活を本当に続けているのだろうか。ドイツには改札といったものがないから、電車には自由に乗ることができる。検札も来るけれど、大抵の場合、見逃してもらっているのではないだろうか。
目の前を通り過ぎて行った1ユーロ硬貨を見て、今日は何だかとても複雑な気持ちになった。そして、その男性にはとても失礼だが、自分が置かれている環境が、いかに恵まれているのかを改めて感じざるを得なかった。結局、何の答えにもなっていないのだが、ベルリンの空の下で、いろいろと考えさせられてしまったのである。
そんな思いを抱いても、仕方がないのだろうけれど…。