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還流独歩

東北視察 その3 2012.03.26

女川から石巻へ戻る。その途中にある門脇小学校の前でバスを下りる。海岸から1km弱の距離にあるが、海面とほとんど差がないため、津波を真正面から受けてしまっている。南に面した開口部は何もない状態で、学校の中は、まさに空洞でしかない。津波による火災が発生したのか、2階から上の外壁は黒い煤で汚れていた。その上の高台にある住宅は無傷で残っているが、この小学校に通っていた子供たちは、果たして助かったのだろうか。

石巻市内へ入り、ある協議会を立ち上げた方々とお会いする。本来なら、その名称を出すべきなのかもしれないが、地震と津波で壊滅的な状況になってしまった地域は、人間関係も複雑な状況になってしまっているため、直接的な表現は避けたいと思う。最初に伺った話は、亡くなった方が4,000名で、消失家屋が20,000棟ということだった。また日和山という小高い丘のような山があるため、津波はその周囲を巻き込んで市内に流れ込み、海岸から5km地点まで被害を受けたという。

津波が襲ったあと、最初は生きている人探しだったとも聞いた。声をかけても反応のない人は、そのまま置き去りで、とにかく生存者を救出する日が何日も続いたという。それから一年が経ち、いまは郊外の仮設住宅から、市の中心部へ定住できるような提案を模索しており、復旧活動を手伝ってくれた人たちを、準石巻市民と捉えて、そういった人たちにも来てもらえる街にしたいという構想を持っている。

その一方で皮肉なことに、震災前には人を呼ぶのが難しかったが、いまは来てくれても何もない状態だということだ。でも、すぐに行動しないと人は出て行ってしまうらしい。そして、お金を落してもらうことが、直接の復興につながるとも聞いた。南三陸町はすべてを失ったが、石巻市内は、倒壊家屋と残った建物が混在しており、それがまたいろいろな状況を複雑にしているようだ。ここでも貴重な話を聞かせて頂いた。今日の宿泊先である松島へ向かう。夕方になって降り始めた雨が、夜になって雪に変わった。

二日目の朝は、まさに雪の松島である。今年の冬は寒いとは思うが、春分の日を過ぎてから、雪景色を見るとは思わなかった。今日から参加する人と合流するため、一旦、仙台市内に戻り、そこから山元町を目指す。いままで聞いたこともない町だが、仙台の南、約40kmに位置しており、その先はもう福島県である。この町の役場は、地震の影響を強く受けたようで、役場の建物の脇に仮設の庁舎が建設されていた。

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