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還流独歩

東北視察 その7 2012.03.30

何もかも失った被災地を見てきて感じることは、自分にできることが何かあるかもしれないけれど、それは余りにも微力に過ぎないということである。一人の人間ができることは限られているから、一体、どこで、どのように行動を起こすべきなのか、その答えを探している間に、時間は瞬く間に過ぎて行く。だから、何か行動に移したいという気持は、奇麗ごとでしかないのかもしれない。

現地で仕事を失った人たちは、受取る援助金を、昼間の娯楽と夜のお酒に変えてしまう人が少なくないという。それを聞いて、複雑な気持ちになった。男女問わず、仕事という生き甲斐のようなものを失うと、自分の存在意義さえ否定的に捉えてしまうのかもしれない。それ以外にも、自分以外の家族全員を失った漁師の人が、生きる気力が沸かないと言っているということを視察で訪れた先の人から聞いた。

それとは逆に、仙台の夜の繁華街は、深夜1時だというのに、本当に多くの人で溢れかえっていた。年度末の土曜ということも関係しているのだとは思うが、その混み具合は、東京の渋谷か新宿と勘違いしてしまうほどである。復興の拠点としての杜の都には、人やお金が集まって来ているのだろう。津波でさまざまなものを失った人たちがいる一方で、復興景気で潤う人たちが確実に存在する。その両面を見せつけられて、何だかとても複雑な気持ちになった。

長々と書き綴って来たが、伝えたいことは、被災地の方々が、「是非、現状を見に来て欲しい」と思っていることである。私も行く前までは、気が引けてしまっていた面があるし、もしかしたら、被災された方々の中には、そういう行動に対して否定的な意見を持っている人がいるかもしれないとも思ったのだが、今回の視察を通じて、見に行くことは決して失礼には当たらないと私は感じた。

未曾有の大災害に対し、日本からだけでなく、世界中から義援金が寄せられた。そして、あらゆるところで募金活動が行なわれて来たし、それはいまも続いている。自ら援助に行けないから、せめてお金を出すことで何らかの協力をするということは間違いではないと思うが、もし、もう少しお金を出すことができ、しかも時間があるのなら、実際に現地へ行き、自分の目で被災地の惨状を確かめることは、募金以上に重要ではないかと強く感じたのである。

復興に対して何か協力したいと思っていても、それを目に見える形で実現することは極めて難しい。もしそうであるのなら、被災地の現状を見て、そして考え、少しだけでもお金を使える場が残されているのなら、現金による援助が、最も有効な復興支援になるのではないかという思いも強くなってしまった。それは、あくまでも私の個人的な意見であって、誰かに押し付けるつもりなどないけれど、そんな気持が沸いて来ている。

今回の視察でお世話になった方々も含めて、災害を受けた地域の一日も早い復興を願わずにはいられない。

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