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還流独歩

昭和な時代 その2 2012.04.30

他にも変なことが蘇って来た。校舎の階段の13段目の踏板の下には、誰か死んだ人が埋葬されているという話が出て、その段は決して踏まないようにしていた。他にも、男子便所の個室の何番目かに入ると出られなくなるとか、実に馬鹿げた話がまかり通っていた。いまも、そんな噂があるのかもしれないが、その当時の古びれた木造校舎は、どこかしら暗くて怖い一面を持っていたからこそ出て来た話なのかもしれない。

釧路いたとき、同級生の男の子が、地上から1.5mくらいのところにある炭坑の配管か何かに登って、綱渡りのようなことをしていて誤って落ち、腕を骨折したことがあった。そういう危険な遊びをしたことに対し、先生はかなりの剣幕で叱り始め、その彼と一緒に遊んでいた友人たちは教室の前に並ばされて、一人ずつ平手打ちを食らわされた。腕を折るという怪我をした本人は、顔まで叩かれて可哀想だった。踏んだり蹴ったりとは、このことだろうか。

いまなら体罰など考えられないけれど、その当時は、まだ、そんなことが許された時代だった。それ以外にも、学校には、児童や生徒に恐れられる厳しい先生が、一人や二人は必ずいた。根は優しいということはわかっている。でも、悪いことはしていないのに、その先生とすれ違うときには緊張するのだった。あとは、定規の背で頭を叩く先生もいた。何度かやられたが、これは痛かった。人気のない先生で、一年で担任が変わったときには、みんなで大喜びした。

次にやって来た先生は、若くて真面目だった。ほぼ毎日、「あしあと」という日記新聞を発行してくれたことを覚えている。ただ、何が書かれていたのか、もう想い出せない。その新聞は、ワラ半紙にガリ版印刷をしたものだったように思う。いや、もしかしたら、ガリ版を進化させた輪転機とかいう機械を使っていたかもしれない。ガリ版とわら半紙。この二つは、もはや普段の生活で目にすることは皆無に近いだろう。

何だか今回は、急に小学校時代の回想録になってしまった。これを読んで気を悪くする人は、あまりいないと思うけれど、何だか急に想い出した子供の頃の昔話に、お付き合いを頂き有難うございました。

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