米と麦と食べること その5 2012.07.12
日本では、食事の前に「いただきます」という。一緒に食べる相手がいる場合は、口に出す人が多いだろうし、一人のときであっても、同様のことばを心の中でつぶやく人は決して少なくないのではないだろうか。食事をつくってくれた人、あるいは自然の恵みに対する感謝の気持ちを、食べる前にことばで表現するというのは、世界に誇れることだと思う。
良く言われるように、「いただきます」という食事の前の挨拶を、英語やドイツ語、あるいは他の言語に訳すのは極めて難しい。「いただきます」という、そのことばには、長年の食文的な背景が大きく関係しているから、それを日本語以外のことばで、しかも一言で表現し直すことは、容易ではない。
一方、ドイツ語の「グーテン・アペティート」や、フランス語の「ボナペティ」は、直訳すれば「良い食欲を」となる。意訳をすれば「どうぞ召し上がれ」、あるいは「美味しく食べて下さい」となるが、それは自分ではなく、相手のことを考えての食事の際の挨拶である。それに対し、「いただきます」は自らへの投げかけであるから、正反対の表現であろう。
それと大きな関係があるのが、箸の置き方である。用意された食事の手前に箸を左右方向に水平に置くのは、単に手が届きやすいからではない。食べる側と食事の間に置くことは、人間の世界と自然を隔てることを意味している。箸の向こう側は、自然の営みをつかさどる神の世界として捉えられてきたと考えられる。実に奥深い。