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2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

客室乗務員の労働環境 その2 2014.08.24

彼女が言うには、労働時間が少ないから、その分、給与も低いということであったが、働く環境としては悪くないという。むしろ、日本の航空会社に勤務する人たちからの話を聞く限り、その環境では、とても長くは働けないらしい。それに対し、欧州の客室乗務員の人たちの年齢層が幅広い理由は、労働環境の良さが大きく関係しているのだろう。

実際、その女性の客室乗務員の方も、その点を指摘していた。日本の航空会社の地上係員や客室乗務員は、海外に比べると、圧倒的に若い女性が多い理由は、労働環境が厳しく、若い人でないと務まらず、また長く続けられないとのことであった。そういった状況もあって、外資系の航空会社に転職したというようなことを言っていた。

私は日本の航空会社に対する批判を述べたいのではなく、その彼女から聞いた話を素直に書き留めておきたいだけである。またそれと同時に、これらのことは、日本の多くの企業にもあてはまることであり、働く人たちを使い捨てにするかのような冷待遇が常態化していることは、目に見えない大きな損失へとつながって行くのではないだろうか。

契約社員の数が増え、低賃金による生活への不安を訴える人も決して少なくない状況を見ると、豊かな日本と言われながらも、その実情は非常に危険な状況にあるようにも思える。だからこそ、本当の豊かさとは何かについて、ふと考えてしまう。経済的にも精神的にも豊かになれるのが一番良いのかもしれないけれど、その本質とは何なのであろうか…。

客室乗務員の労働環境 その1 2014.08.23

女性の客室乗務員の勤務を邪魔してはいけないと思い、その旨を伝えたが、乗客の方との会話は構わない時間帯だということなので、つい話し込んでしまったのだが、最後には労働環境の話になった。彼女が言うには、客室乗務員が行なう機内の作業は、端から見た目だけではわからないほど、かなりきついという。

特に長距離の国際線は、飛行時間が10時間以上にも及ぶし、時差が身体に与える影響も大きく、到着地では最低2日間の休息が得られるものの、心身への負担も大きいらしい。また、機内食を運ぶカートも予想以上に重く、飛行機が巡航状態に入ると機首を少し浮かせて飛ぶので、前へ移動するときに特に力が要るという。

その女性は30代前半くらいだろうか。以前は、日本の航空会社に勤務していたらしいが、いろいろな経緯から、ルフトハンザへ移ったようだ。いろいろと話すうちに、労働時間についても訊いてみたところ、ドイツでは、宇宙からの放射線の影響を考慮して、客室乗務員の月の労働時間を最長で90時間と決めているという。

しかし、ルフトハンザは自社の規定において、ドイツ政府の指針よりも9時間少ない、81時間としているとこのことだが、実情は平均で60時間だそうだ。一般の人の一日の労働時間を8時間とし、月の労働日数を22日と仮定すると、月の労働時間は約180時間となるから、月60時間勤務は、その3分の1である。

客室乗務員の規定 2014.08.21

6月にドイツへ移動する際、ルフトハンザ航空を利用した。ここに何度も書いたが、意外と運賃が安く、予約の変更などの融通が効くからだ。最近は、ルフトハンザばかり乗っている。ところで今回、日本人の女性の客室乗務員と話す機会を得た。というのは、以前から質問したかったことがあるからだ。

その内容とは、飛行機が巡航を始め、飲み物や機内食の提供、免税品の販売など、一通りの作業が終わったあと、客室乗務員が専用の折りたたみの席に座ると、必ず一般の雑誌を読んでいるので、単純に、その理由を知りたかったからだ。結論から先に言うと、それは社内の規定であった。

理由は実に単純で、何もしないで座っていると、時差の影響や疲れ、気の弛みなどから、一瞬、眠りに落ちてしまう恐れがあるかだらという。また逆に、自分が持ち込んだ小説などだと、集中して読み入ってしまい、乗客への対応が疎かになる可能性も出て来ることから、それを防止するためとのことであった。

毎回、国際便に乗ったときに、客室乗務員が一定の時間、必ずと言ってよいほど、雑誌を読んでいるのを見かけたので、いつか訊いてみようと思っていたのだが、そんな理由があったとは知らなかった。おそらく、他の航空会社も、同様の規定を設けているのではないだろうか。

この客室乗務員の方とは、しばらく話し込んでしまった。その内容は、次回に…。

羽田からドイツへ その3 2014.06.17

係員に若干の迷惑をかけつつも、それ以外は特に問題もなく機内へ入った。6割くらいの混みようだろうか。最後尾の席を予約したので、そこへ行ってみると、なぜか女性が座っている。搭乗券を確認すると、私の席はその二つ前だった。搭乗手続を行なったとき、係の女性は最後尾の56列をご用意しますと言っていたのに、搭乗券を見直してみると54と書かれている。

その場で確認しなかった私も悪いが、間違いそうもないことなのに、一体、どういうことなのだろう。気を取り直して、その席を見ると、運良く隣りの席には誰もいなかったので、そのまま座ることにした。妙に腑に落ちないのだが、今日に限って、急に列が後ろに二つ増えたということにしておこう。これぞ大人の対応…というほどのことでもないか…。

それからしばらくして、飛行機が急に大きな音とともに揺れ始めて、ふと我に返った。駐機場を離れ、滑走路に向かう間の僅かな時間に寝入ってしまったらしい。そして、ほんの少しのまどろみを感じる中を、飛行機は地上を離れた。そしてまた気がついたときには、食事の前のおしぼりが配られたあとだった。

その後は順調に飛行し、何の問題もなくフランクフルト空港に着いた。夏至が近いから、19時だというのに、日本では考えられないくらいの高い位置で太陽が輝いている。今回、預けた荷物は、フランクフルト空港内ではなく、長距離新幹線駅で受取ることにした。問題なく無事に受取り、ICE新幹線でケルンへ向かう。地面を走る高速移動も心地良い。

ケルン中央駅には定刻に着いた。事前にバスの時刻を調べておいたのだが、わずか3分後に、急いで、駅の北側にあるバス乗り場へ移動したら、確かに132番のバスが止まっていた。以前は、大聖堂側にもバス停があったのだが、昨年12月に廃止になり、以前から駅の北側にあるバス乗り場だけになったのだ。

ともかく、そのバスに乗り、馴染みの景色を抜けて、移動がおわった。そしてまた、すぐにドイツ国内の移動が始まる。今回も気をつけてケルンに戻って来たいと思う…。

掲載日:2014年8月20日(水)

羽田からドイツへ その2 2014.06.16

出発までは、滞っている作業を行なった。といっても、ごく簡単な翻訳や、持参した図面の確認である。周囲にいる人たちは、ブラジルで始まった蹴球の祭典の日本対コートジボアール戦を見ている。本田が得点して、1:0と善戦しているが、果たして勝てるかどうかはわからない。後半に入り、しばらくしてから失望にも似た声が2回聞こえた。

出発前に、両親に電話したところ母が出た。今日は父の日だから、電話の一本でも入れておこうと思っただけのことである。あいにく父は、パークゴルフに出かけていて不在だという。あと一時間ほどしたら戻って来ると思うというので、宜しく伝えておいてくれと頼んだ。

それから1時間ほどして携帯電話が鳴った。父からの返信だった。何でも、40人近くが参加したパークグルフの親睦大会で優勝したという。半分遊びの延長とはいえ、一番の成績を上げるというのは、なかなかできるものではない。父の年齢を考えると、周囲には身体が思うように動かない人がたくさんいることを思えば、実に幸せなことである。

搭乗開始の知らせは、出発時刻の20分前だった。すぐに行っても、搭乗口にはいつものように人が並んでいるのだろうと思い、少ししてから向かうと、私の名前を呼びながら前方から女性の地上係員が小走りに駆けて来るのが見えた。私は軽く右手を挙げて自分であることを示した。少し先の搭乗口に着くと誰一人としていなかった。

こんなときに冗談を言うのも失礼なのだが、「私の席はまだ残ってますでしょうか?」と真顔で訊いてみた。その女性は「ええ…大丈夫だと思います…」と答えてくれた。実に下らないことを質問してしまったのだが、さらに余計なことに、私が最後の一人なのかと訊いてみたら、他にもまだ何人かが搭乗を済ませていないという。

掲載日:2014年8月20日(水)

羽田からドイツへ その1 2014.06.15

5時の目覚しが鳴る前の4時45分に起床。出発前の掃除を済ませ、移動の準備をほぼ済ませたあと泳ぎに行く。今年の3月末から、羽田空港の国際線の離発着枠が増えたお陰で、今回、初めて羽田空港からドイツへ向かう。しかも、出発時刻が14時過ぎだから、気分的にも体力的にも、とても楽である。そして、いつものように泳ぎに行けるのも嬉しい。

快晴の中を羽田空港へ向かう。これまで、海外に行くときは、いつも成田空港だったから、方角の違う電車に乗っていると妙に不安が襲って来たりする。行き先を間違えたような感じもするし、郷里の札幌に行くような錯覚にも陥ってしまうのだ。羽田空港は近いし、運賃も安いから便利なのだが、遠くへ移動するという気分にならない気がする。

羽田空港の国際線ターミナルを利用するのは、実は2回目である。といっても前回は、フランクフルトから羽田空港に着く便だったので、そのときの印象はほとんどない。しかも早朝に着いたから、ひどく眠かったことだけは覚えているだけで、それ以外はよく想い出せないのである。

出発時刻の4時間も前に、ターミナルに到着し、搭乗手続きを済ませる。座席を決める際、念のため、最後尾の4列席の通路側が空いているかどうか訊いてみたら、その内側もまだ予約されていないというので、その席に変更した。背もたれを倒せる角度が他の席よりも小さいですと言われたが、実は座席の後ろに荷物を置けるので便利な席なのだ。

空港内は、ほどよく混んでいて、銀行の両替所には、結構、人が並んでいた、手荷物検査にも、それなりに人いるが、長蛇の列というほどのことではない。荷物を2度検査されたが、中を見せるほどのことではなかった。出国手続きを終えた先にも両替所があり、そこにも20人ほどの列ができていた。

掲載日:2014年8月20日(水)

長期休載によせて その3 2014.06.09

誤解のないように補足すれば、その「隔たり」というのは、ときに自分自身の中にある「葛藤」にもあてはまる気がする。私は心理学者ではないが、人の気持の中には、対峙する見えない二人の自分が存在しているとでも言えようか。先述した「気持の引越」とは、その間に生じる感情の移ろいであり、振り子細工のようなものだったりするのかもしれない。

人は誰しも、気持が揺れ動くことが必ずある。良い方に振れるときもあれば、悪い方に傾くときもあるだろう。いずれにせよ、それはときに、必ず反動となって自分自身に返って来る気がする。そして、その振れ幅が大きければ大きいほど、もしかしたら、成長できる可能性が高まったりするのかもしれないと勝手に思ったりもするのである。

それにしてもこの一年間というのは、自分にとって、かつてないほど自分自身と向き合い続けた時間であった。それが良かったのかどうかはわからないが、今更にして思えば、極めて貴重な体験だったように思う。その間、陰で支えてくれたたくさんの人たちに対し、この場を借りて心から感謝する次第である。

そして、この環流独歩の行方がどうなるか、自分でもわからないのだが、この一年間に書き溜めたままになっているつたない文章がいくつかあるので、時間を遡ってでも更新したいと考えている。ともかく、これから先、かつてのように頻繁に更新することは難しいと自分でも感じている。

ただ、これまで書いて来たことを、たまに読み返すと、自分が書いた文章なのに、とてもためになったり、ときに勇気づけられることもあるから、以前ほどの、更新回数は難しい状況になると思うが、適度にお付き合いを頂ければ幸いである。

掲載日:2014年8月20日(水)

長期休載によせて その2 2014.06.08

人というのは不思議なもので、それまで続けていた日課や、日々の中の小さな課題を、一旦、止めてしまうと、それを元の状態に戻すことが難しくなってしまうことがある。その原因などわからないけれど、意外と、生活環境のちょっとした変化などが関係していたりすることが多いのかもしれない。

例えば、それまで何度となく訪れた馴染みの店があっても、一旦、引越をしてしまうと、極端に疎遠になってしまう。それは、新たな引越先が、いままで住んでいたところから非常に離れてしまえば当然のことなのだが、近くであっても、同じことがいえたりはしないだろうか。普段、通る道が一本変わるだけで、日々の行動が変わったりもする。

それはもしかして、「気持の引越」とでも言い換えられるかもしない。あるいは「気持の切換え」とでも言うのだろうか。「気持を切替える」というのは、普通は、いままで悩んでいたことや、考えあぐねていたことを解き放って、前向きに変えることを意味すると思う。あるいは、ときにそれは負の方向へ向かったりするときもあるかもしれない。

私のような個人事業主でも、大きな企業に勤める人であっても、仕事は信頼関係で成り立っている。それを築くには、何年もかかるが、信頼とはときに傷つくやすく、とあることがきっかけとなって、いとも簡単に崩れてしまう。一旦、崩壊した信頼を取り戻すことは、そうたやすいことではないし、元に戻らないことさえある。

もっと下世話なことばに言い換えれば、信用を失うということは、要は相手を「白けさせる」てしまうことなのではないかと思う。それは、いままで密だった関係の間に、急に見えない隔たりが生じてしまうことだとも言えなくもない。その精神的な壁の高さは、10mに感じる場合もあれば、厚さが100mと感じるときもあるかもしれない。

掲載日:2014年8月20日(水)

長期休載によせて その1 2014.06.07

休載というと実におこがましいが、2013年5月7日(火)に最後の更新をしてから、一年以上が経過した。この一年という間に、何人もの方から「最近、更新していないですね」と言われたり、「これを読むのを結構、楽しみにしているんですけど…」という有難いことばも何度か頂いた。

この環流独歩は、2009年9月から書き始めた私の行動記録であり、日記であり、あるいは個人的な意見や考えを思うがままに書き綴った日々の備忘録のようなものである。誰かに書くように強制されたわけでもないし、書いたからといって、報酬がもらえるようなものでもない。ただの趣味の一つであり、業務だとも思っている。

この場でも何度か書き込んだが、書くことは、頭の中を整理することにつながると思う。正確に言うと、考えていることを、自分自身の中で明確にすることである。そう思い続けて来たが、2013年4月くらいから、その気持が途切れ始めてしまった。簡単に言えば、書き続ける気力が続かなくなっただけのことである。

自分でも、こんなにもあっさりと書くことを止めてしまうとは思ってもいなかった。設計業務の合間の僅かな時間や、移動中も、いろいろなことに想いを巡らせ、思いついたことをこまめに書き留めて来たが、正直なところ、それが何だか妙に虚しく感じられるようになったことも事実である。

もっと簡単な日記形式にして、今日は何をしたかを書き込むだけでも良いから…と自分に何度も問いかけてはみたものの、日々の業務を行なう中で、その時間を割くことが難しくなったし、また不思議なことに、書くことに対する妙なためらい何故か強くなった。それが続くと悪循環が始まったりする。自分の中での動きが縮小してしまうのだ。

 

掲載日:2014年8月20日(水)

加筆訂正:2017年6月29日(木)

師走に再び その4 2013.12.21

それから少しして、私がお手洗いに立ったとき、私はその乗務員と軽く立ち話をする機会を得た。「先程の貴方の冗談は最高でしたよ」。彼女は答えた。「この仕事を長いことやっていると、そんな冗談も必要なのよ…」。確かにその通りなのだろう。年季の入った客室乗務員の対応は、何だか私の心の奥にじわじわと響いて来るのだった。

ところで、その彼が手にしたおにぎりは悲しい運命を辿った。日本のコンビニエンスストアで売っているおにぎりというのは実に良くできたもので、中央にあるテープを切ることで、分離している海苔を簡単に巻きつけることができる。しかし、その彼はそんなことなど知らないから、海苔を巻くこともせず、中の白ご飯だけを素手で食べていた。海苔はゴミになったのである。

その彼を決して揶揄するつもりなどない。知らないだけのことだ。よほど教えてあげようかと思ったが、通路も挟んでいるし、面倒なので止めた。たかだか、海苔が白ご飯に適切に巻かれなかっただけのことである。残念だが、致し方あるまい。そういうところは薄情な私なのである。それにしても、海苔というのは不思議な食べ物だと改めて思った。

飛行機は、その後も順調に飛行を続け、定刻よりも20分ほど早く、フランクフルト空港に着いた。そして今回も移動は問題なく終わった。それにしても、女性の客室乗務員の対応は楽しかった。移動の電車でも、思い出し笑いをしそうになって危なかった。

この話を、さっそくドイツの友人に話したところ、やはり大笑いになった。そして、彼らが話していたのは、もしかしたらアルメニア語ではないかとのことであった。もちろん、いまとなっては確かめようもないのだが、万が一にも、アルメニアに行くことがあれば、何か想い出すことがあるかもしれない。そして、少なくともことばを予習してから訪問したいと思うのである。

掲載日:2014年8月20日(水)