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2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

師走に再び その3 2013.12.20

しかし、この効果もあってか、理解不能言語による両脇からの挟み撃ち攻撃は次第に減り、それまで通路を挟んだ左の超長髪の男性と、右隣りの優しそうな男の人との間に入り込む隙間をつくることができなかった私は、座席周辺の音響環境を劇的に改善することに成功したのである。

話は変わって、配膳のときに「赤ワイン、白ワインはいかがですか」とやって来た客室乗務員に、「白ワインをお願いします」と言って、プラスチックのコップを差し出したら、キャップが開いていなかった。しかも目の前に注がれたワインは赤だった。彼女は。「今日の私ってどうしたのかしら…」という行き場のない困惑した表情を浮かべながら、数秒の間、遠くを見つめたのを私は見逃さなかった。

そして私に誤ることもなく、「取りあえず、赤を入れておきますね。白は、またあとで頼んで下さい。」と言って、目一杯まで赤ワインを注いだあと、後方へと消えて行った。日本の客室乗務員なら、「お客さま、大変に失礼致しました。いますぐお持ちします…」というようなことを言うだろう。その対応の違いが笑えたりもする。

仕方がないので、しばらくしてから別の女性に白ワインを頼んだら、「承知致しました。ただ、飲み物は、後方に用意してありますから、いつでも大丈夫ですよ。私はこれからお手洗いの状況を確認しに行きますので、少しお待ち下さい。」といって立ち去ったあと、数分くらいして、持って来てくれた。もう50代後半に見える彼女の対応は実に大人である。

そして機内の照明が消されたあと、しばらくしてから、先程の客室乗務員が、飲み物と一緒に、「オニギリ、オア、ケーク?」と言いながら配り始めた。彼女が通路を挟んだ反対側の男性に勧めたとき、私の中で大爆笑が起きた。女性の客室乗務員が、その彼に「Which language do you speak?」尋ねるのだが、彼はまったく反応を示さない。そうしたら、その乗務員が一言、言い放った。「OK, you speak NO language !」。

その投げかけに対し、男性は何も言わず、おにぎりを手にしたことも、私の笑いをさらに助長させた。英語が話せないことが、そんなに恥ずかしいことだとは思わないけれど、彼らのように、英語に対する語彙がまったくなく、問いかけにも反応しない状況だと、互いの意思を確認するのは実に難しい状況になる。

掲載日:2014年8月20日(水)

師走に再び その2 2013.12.19

こうなって来ると、自分が選んだ席なのに、それに対して妙な苛立たしさを感じて来たりもする。例えば、一つ前の席がビジネスクラスとの境のため、そこにある壁から妙に圧迫感を受けることも気になり始めた。細かいことを言うようだが、個人的には機内を見渡せる後方の席の方が落ち着くということも、今回、良くわかった。

そして、機体が駐機場を離れたあとも、離陸したあとも、まったく理解できない言語の挟み撃ち攻撃は続いた。何とも気になるのは、会話がしばらく続いたあと、これで話も終わりかと思った矢先に、また会話が始まるので、精神的安堵感が得られないのである。例えば電車内で、両脇の人の会話の間に挟まれたら、普通の人は、やはり気になると思う。

そこで私は、受け身状態を脱し、彼らが一体どこの国から来た人なのかを訊いてみることにした。無論、私のつたない英語でである。しかし、それがまったく通じなかった。「英語、話せますか?」。「ノー」。少なくとも、私の質問はわかったようだ。取りあえず訊いてみた。「どちらの出身なのですか…」。答えは「チェ」だった。

チェ? ん、チェコか? それならあり得るかもしれないと思った私は、ドイツ語で「チェコ」示す「チェッヒェン?」と訊いたら頷くので、どうやらチェコの人らしい。食事のときに、彼も私も麦酒を頼んだので、試しに「ナーズドロビエ」と言ったらウケた。やはり中欧の人のようだ。私が言ったのは、「乾杯」という意味である。

ただし、私もいい加減な知識しか持ってないので定かではないが、その周辺の国では、乾杯のことを、「ナーズドロビエ」とか「ナーズダラビエ」というらしい。それはともかく、日本に何日間ほどいたのかとか、観光で来たのかというようなことを英語で訊いたのだが、まったく通じなかった。

私が、「トキオ、オア、キョート? ジャパン? トューデイズ? スリーデイズ? ア・ウィーク? オア・ロンガー?」と訊いた質問の答えは、「モン」だった。さっぱりわからない。でも一か月を示す、「a month/ア・マンス」のことなのかもしれないと思い、「フォー・ウィークス?」と尋ね直したが、それも理解してもらえなかった。会話は、そこで途絶えた。

掲載日:2014年8月20日(水)

師走に再び その1 2013.12.18

これまで何度も書いて来たことだが、再びドイツへ発つ日がやって来た。いつものように、夜12時前に就寝し、今朝は3時前に起きた。前日のうちに、床掃除も済ませ、だいたいの荷物は詰め終わっているから、慌てることはないのだが、朝5時過ぎには出発するとなると、やはり遅くとも2時間前には起きていないと最後の準備ができないのである。

成田空港への移動も順調で、大きな問題はまったくなかったが、早く着き過ぎて、搭乗窓口が開いておらず、30分近く待つことになった。成田発フランクフルト行きのルフトハンザ便は、夏時間のときは9時半前後の出発だが、冬時間になると1時間遅れの10時半に変更になるのだ。それは他の欧州行きの便であれば同じことだろう。

一般的に、搭乗窓口は、出発時刻の3時間前に開くので、早く着いたところで搭乗手続きをすぐに済ませることができないことはわかっていたが、もしかして開いているかもしれないという淡い期待は、あっさりと裏切られた。それもで7時半過ぎには搭乗券を受取り、出国手続きを済ませた。

今回、最初に予約したときの席は最後尾の通度側であったが、前方で中央の4席がすべて空いている列があると聞いたので、その通路側に変更してみた。しかし、これははっきり言って、ちょっとした失敗であった。というのは、実際には、ほぼ満席に近い状況のため、空席などほどんどなく、席の変更をする意味などなかったからだ。

周りを見渡すと、日本の人ではない人たちが多い。隣りの人は、ロシア系の顔つきをしていて、周囲の友人たちと会話を始めた。ロシア語に聞こえなくもないが、どうやらそれとも違う。ポーランド語にも似ているようだが、やはり異なるように聞こえる。あるいは中央アジアのどこかの国の言葉なのだろうか…。

私は周囲の席の人たちがどこの国の人でも構わないけれど、一つだけ無性に気になったのは、私を挟んで、両隣りの男性同士が、ずっと会話をしていることであった。隣りとその隣りの人が話している分には問題ないと思うのだが、私を間に挟んで、両側から、しかもまったく理解できない言葉で挟み撃ちをされると、ひどく辛いということが初めてわかった。

掲載日:2014年8月20日(水)

移動前の作業 その2 2013.08.26

もっとも、オンラインで口座の明細を出力するという方法を取れば、この問題は、おそらく解決するのではないかと思うのだが、なぜかいままで試したことはないし、意外とアナログ人間な私としては、面倒だけれども、どうもこの方法が性にあっていると思うのだ。だから、出発が近づいたときに、最寄りの銀行へ足を運ぶのである。

他には保証金が上乗せされたPETボトルや空瓶を回収して、換金しておく必要がある。以前にも書いたように、ドイツのPETボトルには、一本25セントが課金されている。いまの為替相場である1ユーロ130円で換算すると、一本あたり約33円である。街中のごみ箱に捨てられた空瓶を10本集めただけで330円にもなるからだ。

物価の安いドイツでは、330円もあれば、ジャガイモ1kgと人参1kg、ザウワークラウト500gが買えるから、これだけあれば、どうにか食事をつくることができる。だから、街中のごみ箱の中にPETボトルが入ってないか見て回る人が実に多い。そんな光景を目にすると、何だか申し訳ない気持ちにもなったりするのであった…。

掲載日:2014年8月20日(水)

移動前の作業 その1 2013.08.25

いつものように、移動する日は3時半には起きて、出発の準備をする。荷物はほとんど詰め終わっているし、掃除も昨日のうちに済ませてあるから、何も無理に早く起きる必要はないのだが、何度も書いたように、空港へはできるだけ早く着いておきたいし、何にも増して、朝は時間が経つのが早いから、油断は禁物なのである。

出発当日も、それなりに忙しいが、前日くらいから気持が落ち着かなくなる。内容的には、たいしたことなどないのだけれど、いろいろと済ませておきたいことがたくさんあるからだ。それらのほとんどが、外出しなければできないことだったりもする。人によっては、気にするほどのことでもないと言われてしまうのかもしれないが…。

そのうちの一つが、銀行の口座残高の明細書を出力することである。日本のように、通帳というものがあるわけではないので、口座のある銀行に出向いて、専用の機械にカードを入れ、印刷してもらう必要があるだ。というのは、口座の明細書を少なくとも数か月に一回は出力しておかないと、それが銀行から自動的に有料で送られて来るからである。

掲載日:2014年8月20日(水)

東へ9000km移動 その3 2013.07.05

以前にも何度か書いたけれど、どこへ行っても「一対一」の関係が望ましいのではないかと私は思う。お金を払って飛行機に乗る側と、お金をもらって飛行機に乗せる側のどちらが上の立場かというと、そんなことに優劣をつけられるものだろうか。いや、日本では、それがあたり前なのかもしれないし、お金を持っている人の方が、立場的に優位にあるということが当然と受け止められる社会であるようにも思う。今回の場合だと、それは無論、乗客の方であろう。でもこの問題の根底にあるものは「お金」ではない。簡単に言えば、コミュニケーション能力の差ではないかと思う。

いや、でもそんな簡単に決めつけることはできない。日本の人が親切ではないかというと、そんなことはなく、日本を訪れた海外の人の多くが、その優しさや丁寧さに感謝するという話をよく聞くことも多い。いろいろな場合があるにせよ、それは概ね事実ではないかと思うし、もちろん嬉しいことでもある。にもかかわらず、ほんの少し立場が変わると、その落差の乖離が激しくなるのは、どうしてなのだろう。後ろの席の男性たちの客室乗務員に対する横柄な態度も、全くわからないわけではないけれど、それはおそらく、どう接して良いのかわからないからではないだろうか。

翻って、はたして自分はどうであろうか。いま書いたことを自ら戒(いまし)めた対応ができているのだろうか。誰にでも分け隔てなく、優しく接しているだろうか。相手のことを考えて、思慮分別のある対応ができているだろうか。できるだけ、そうするように努めてはいるつもりだが、恥ずかしながら、あまり自信がない。というのも、そういった受け止め方というのは、相手によって大きく違って来るからだ。そんなに難しく考える必要はないのかもしれないけれど、意思の疎通が上手く行かないことはよくあることだ。

そんなことを考えているうちに、何度か眠りに落ちてしまった。飛行機は、定刻よりも30分ほど遅れて、成田空港に到着した。空気が生暖かく、身体にまとわりつくのがわかる。東京に戻って来たと実感するときでもある。空港内でシャワーを浴びて、気分を入れ替えてから都内に向かう。夕方から打合せがあるので、その前に少し休んでから出かける。以前は泳ぎに行っていたが、恥ずかしながら、最近はそこまでの気力が沸いて来ない。今回、東京に戻って来たのも束の間、10日間後には、再びドイツへ向かう。一日を大切にして行きたいと思う。

掲載日:2014年8月20日(水)

東へ9000km移動 その2 2013.07.04

搭乗券に書かれた6番線に上がってみると、柵が一面に張られていて、シートの隙間から覗くと、工事が行なわれているようだ。どう考えても、ここに電車が入って来るわけがない。しかも、電光掲示板には「乗れません」との表示が出ている。それよりも、どこに行けば良いのかを教えて欲しい。仕方なくドイツ鉄道の人に訊くと、フランクフルト行きは5番線だという。一旦、連絡通路に降りて、隣りのホームへ上がる。こういう不親切さには、もう十分に慣れているし、腹も立たなくなったけれど、何というか、気遣いのなささ加減に愕然とするのである。まあ、そんなものだろう。

ICE新幹線は定刻に出発し、10時前にフランクフルト空港長距離新幹線駅に到着した。そこから先も何の問題もなかった。出発前にメールの返信を書き、少し作業をしているうちに搭乗時間になった。今回もルフトハンザのエアバスA380に乗り込む。以前にも何度か書いたが、この飛行機が取り立てて好きなわけではなく、安くて便利なので利用させてもらっているだけなのだ。でも、それは航空会社を選ぶときに、とても大切なことだし、あたり前のことだろう。実際、今回の搭乗率は80%は超えていると思う。円安傾向が続いてはいるけれど、欧州への旅行は相変わらず堅調のようだ。

今日は駐機場を離れる前に少し寝入ってしまったらしく、気がついたら離陸するところだった。いつものように、どこまで行ったら飛び立つのか不安になるくらい長く滑走したあと、A380は雨のフランクフルト空港から、いかにも重そうにじわりと離陸した。そこから先は激しい揺れもなく、安定した飛行で、極めて順調だった。気になったのは、後部座席にいる日本の男性たちである。客室乗務員に対する言葉使いが何かと横柄なのだ。何ゆえに、そういった態度をするのか私はまったく理解できない。大したことではないのかもしれないけれど、個人的には見苦しいなあと思う。

掲載日:2014年8月20日(水)

東へ9000km移動 その1 2013.07.03

4時起床。掃除などの時間のかかる作業は夕べのうちに済ませた。この時期は着るものが薄手なので、荷物もかさばらず、まとめるのも楽である。6時半過ぎには出発の準備をほぼ終えたので、書きかけのドイツ宛の礼状を3通書く。手元には、かなり昔に買ったドイツ語の手紙の書き方に関する本があるので、それもたまに参考にしたりするのだが、実際に使える文章は多くないので、それなりに自分の頭で考えて書くことがほとんどだ。文法や綴りに間違いがないか確認するのはもちろんのことだが、何にもまして手紙の内容が相手にうまく伝わるかどうかの方が重要だったりする。

そんなことをしていると、時間は瞬く間に過ぎ、バスに乗る時間が近づいて来た。あいにく雨が降り始めたが、10分ほどで小降りになったので、出かけることにする。でも肝心のバスが来ない。待っている他の人たちも、いつ来るのか気になるようだ。朝は違う方向から10分おきに2本のバスが来るので、本当なら5分に一台来る計算になるのだが、バスというのは、全然、来ないかと思うと、何台かまとまって来たりするのは、どこの国でも同じなのだろうか。結局、20分ほど待って、ようやく一台が来た。何台か連なって来るかと思ったが、今日は違った。

ケルン中央駅で搭乗手続きを済ませる。以前は係の人がいて、そこで顔を合わせながら手続きをしたのだが、いつの間にか4台の自動チェックイン機に入れ替わっている。男性が一人いたので訊いたみたが、何かあったときに対応する人のようで、搭乗手続きは機械で行なわざるを得ないらしい。それは仕方ないとしても、以前まであった無料の新聞もなくなっている。明らかに経費の削減なのだろう。自動チェックイン機は便利だけれど、何となく寂しい。いまや、オンラインでの搭乗手続きも可能にはなったけれど、対面式で発券してもらうことが意外と好きだったりするのである。

掲載日:2014年8月20日(水)

西へ9000km移動 その3 2013.06.19

機内アナウンスで、「到着地、フランクフルト空港の最高気温は32℃との予報が出ております」と告げられる。控えめながら驚きの声が上がった。夕べ、週間予報を確認したら、今週半ばの最高気温は、場所によって35℃近くになるという。ただし最低気温は20℃近いし、週末には20℃までしか上がらず、最低気温も10℃前後まで下がるようだ。慣れているとはいえ、寒暖の差が激し過ぎる。長袖や薄手のセーターを持って来たが、それでも寒いかもしれない。

日本海上空を通過しているときには細かな揺れが続いたが、それ以外は順調な飛行だった。いつもは特別メニューを指定するのだが、今回は普通の機内食にした。「焼き豚の柚子餡かけ丼」と「サワー・ビーフグラーシュ」の二つのうち、前者を選んでみた。予想外にも、焼き豚が何枚も重なっていて、かなり食べごたえがあった。少し薄味だったが、美味しく頂いた。こんな機内でご飯が食べられるのだから、実に有難いことである。

到着したフランクフルト空港は確かに暑かった。飛行機からボーディングブリッジに足を踏み入れた瞬間、熱波に襲われる。東京でも体験したことのない暑さで、渡り切るまでのほんの僅かの時間とはいえ、高温のサウナにいるような感覚だ。建物内に入れば、少しは涼しくなったが、機内で着ていた長袖をすぐに脱いだ。それでも空港内にを歩くうちに汗ばんで来る。でも、この束の間の暑さを楽しむくらいの気持が必要だ。

機内に預けた手荷物の受取り場所に行く。500人近い人が乗っているのに、ここに来ているのは100人ほどだろうか。実に静かである。それ以外の人たちは、ドイツの他の都市か、欧州各国へと乗り継ぐのだろう。午後3時前にフランクフルトに到着するこの便は、東京を出発する時間は早いけれど、その分、乗り継ぎをしても夕方前には目的地に着くから便利である。飛行機を降りたところでまとまっていた団体客は、どこへ行くのだろう…。

フランクフルト長距離新幹線駅は、やはり暑く感じられるが、湿度が低いせいか、逆に心地良くもある。何本か別の電車を見送ったあと、ケルン行きのICE新幹線は定刻に来た。夏至を前にして、夕方だというのに、太陽が空の高いところで輝いている。ICE新幹線が巡行状態になり、時速299kmの表示が出る。アウトバーン3号線を疾走する車を軽く追い抜いて、無事、ケルンに到着した。大聖堂前には人が溢れている。心地良い疲労感に包まれながら、今回も移動が終わった。

掲載日:2014年8月20日(水)

西へ9000km移動 その2 2013.06.18

早朝の空港は静かである。搭乗手続きは数分程度で問題なく終わった。7時半の手荷物検査の開始まで30分ほどある。その間にも簡単な作業をする。以前にも書いたが、個人的には7時から出国させてもたいたいと思う。空港の運営上、30分早めることは難しいのかもしれないが、8時台に出発する飛行機もあるわけだし、世界を代表する国際空港なのだから、早めに空港に着いた人たちへの配慮があっても良いのではないだろうか。

ところで今回、残念なことが一つあった。ドイツへのお土産として、毎回、必ず購入し続けて来た「抹茶ケーキ」がなくなっていたのだ。実に他愛もないことだが、ドイツの友人や知人、あるいはお世話になった方々に上げるお土産として最適だったし、味もさることながら、風呂敷の様な日本的な包みも好評だった。買って来て欲しいという要望さえ出る絶賛商品であったから、なくなってしまったのは実に惜しいことである。仕方なく妥協して別なのを買った。

今回は前方の席に座ったので、後方のことは分からないが、機内は8割くらいの混みようだろうか。いつものように中央の4人掛けの通路側に座る。隣りは一つ空いていて、その向こうは年齢層が高めの女性が2人座っている。手にしている旅行案内のようなものが目に入った。「ライプツィヒ音楽祭」というようなことが書かれている。それくらいの年代の人たちにとって、欧州への旅行は相変わらず人気のようだ。だからこそ飛行機も混んでいるのだろう。

全員の搭乗が終わったことを知らせるアナウンスがあった。私の一つ後ろの列は端に男性が一人だったので、許可を得てすぐ後ろに移動する。そうすれば4列席を2人ずつで利用できるから、女性二人にとっても少しは広く使えることになる。私は後ろに移りますからと伝えると、とても丁寧な御礼の言葉を頂いた。出発前に何人か遅れて入って来た人がいたが、飛行機は、ほぼ定刻通りに駐機場を離れた。そしていつものように50秒近い加速を終えて離陸した。

掲載日:2014年8月20日(水)