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文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

2階は1階 その5 2013.03.18

と、ここまで書いておいて、今更ながら、しつこく補足しておくと、ドイツの一般的な2階建ての戸建て住宅での階数表示は、1階は「地上階」だが、2階は日本語の「上階」にあたる「Obergeschoss/オーバーゲショース」と言い、大抵の場合、「OG/オーゲー」と略される。つまり2階建ては「地上階」と「上階」という表現となり、1階や2階という数字は出て来ない。これが合理的かどうかまでは判断できないが、納得できる言い方ではないかとは思う。

そして、また気がついたのだが、3階以上の場合、日本式の2階は「1. OG/エアステス・オーゲー」、3階は「2. OG/ツヴァイテス・オーゲー」となって、それぞれ、「上1階」「上2階」と表現される。地面から上の階は、当然、2階から始まるわけだから、そこを上の階の1階と考えて、「上階の1階」「上階の2階」と表現することは、理にかなっている気もする。ドイツの合理的な考えは、こんなところにも表れているのだろうか。

話はさらに脱線して、もし日本の階数表示が、ドイツや欧州のように、2階を1階と呼ぶようになったら、大混乱までは起きないにしても、多くの人が戸惑うことになるだろう。入居する最初の段階から「この建物は、地上階を0階と扱い、昇降機の表示も0とします」というのであれば、あとは慣れの問題になるということも考えられなくはないが、実際、「お宅はいままで5階でしたが、明日から4階になります」と言われたら、大抵の人が困惑することは想像に難くない。

ということで、この階数の呼び方については、ドイツでの生活を始めてから、ずっと気になっていたし、ドイツと日本を行き来するようになってからは、その違いに触れることが、より多くなった。それは日本式とドイツ式のどちらが正しいかを明らかにすることではなく、その違いの理由は何かを考えてみたかったのである。そうしたら、予想外にも、こんなに長くなってしまった。でも、少し納得できた気がするのである。

さらに最後に、フランス語で1階は「 rez-de-chaussée/レ・ドォ・ショセー」 という。ドイツ語も難しいが、フランス語も実に面倒な表現である。フランス語圏の方、お許し下さい。

2階は1階 その4 2013.03.17

ここで視点をアメリカへと移してみる。欧州から渡って行った人たちは、階の表示をイギリスのように「ground floor/グラウンド・フロアー」という表現を用いず、なぜ「first floor」と表現するようになったのだろうか。これも単なる憶測でしかないが、歴史の浅いアメリカには高い建物がなかったからかもしれない。いまでこそ摩天楼と呼ばれる超高層建築が無数に建てられているが、移住して行ったときには、何もなかったのだろう。

アメリカの初期の頃の庶民の建築については、まったく知らない状況のまま、勝手に書かせてもらうと、広大な土地に、高い建物を建てる必要はなかっただろうし、住宅でも2階があれば十分だったと推測される。あるいは平屋が多かったとしたら、「ground floor」しか存在しなかったことになる。つまり、上層階がないのに、わざわざ「地上階」というのも、確かに意味がないような気もしてきたりする。

同じ英語圏でも、イギリスとアメリカの英語は異なる面が多々あるから、イギリス方式の「ground floor」をそのまま使わず、いつの間にか「first floor」と言うようになったことについては、それほど大きな疑問ではないのだが、もしその変化に、建物の高さが関係していたとしたら、この階数の表現については、日本やアジアと同じ概念に近いといえるのかもしれない。つまり、歴史的に階数が少ない建物が多かった国は、地上階は1階と考えていたと結論付けられなくはないだろうか。

個人的にはアメリカのことなどほとんど知らないが、日本と同国には、距離も言語も文化も社会も国家も、何から何まで大きな隔たりがある。似ているところなど何一つないのかもしれないが、この階数の表現に限っては、数少ないと思われる共通点の一つといえるように思う。そんなことを考えたところで、意味などないのかもしれないが、昇降機に乗るたびに、1階を0階と考える欧州方式との違いが、どうしても気になってしまうのである。

2階は1階 その3 2013.03.16

また、ドイツの集合住宅には地下室がある。大抵は地下1階だが、大型の建物になると、地下が2層に分かれていることもある。この仮定には、やや無理があるかもしれないが、一階には店舗が入り、地下があり、しかも建物の階数が4層や5層になると、地上階を基準として、そこから一つ上が1階、一つ下がると、地下1階というように、地上を0階として扱うのが便利だったと考えられなくもない。

実際、ドイツで生活していると、上下に複数に分かれている建物の断面案内図に「Ebene/エーベネ」と出ているのを見かけることがある。「Ebene」とは、いわゆる「積層」のことで、「レイヤー」と言った方がわかりやすいだろうか。その図に「Ebene 0」と出ている階が基準階となり、そこから一つ下の階は「Ebene -1」、そこから3階上がったところは「Ebene 3」などと書かれている。これが多用されている建物としては、高層の駐車場を挙げることができるだろうか。

例えば、階が上下に分かれている少々複雑な建物や場所で街合わせをする場合、どの階で会うのかを決める際に、基準階よりも一つ下の階のときは、「マイナス1」を示す「Minus Eins/ミノス・アインツ」とか、二つ上の階であれば、「プラス2」である「Plus2/プルス・ツヴァイ」というように言ったりする。頻繁に使うわけではないが、このようにして間違いを防ぐことはよくある。もちろん、日本でも同じではあるが、プラスとかマイナスという表現をつかうことはないだろう。

そう考えると、基準階を「0」と表現することが、それほど奇異に感じられなくなる。数直線上を考えてみても、「0」が存在しているからこそ、負と正のように分けられる。これがもし、「-2」「-1」ときて、次に「1」「2」と続くと違和感があるのは、単なる慣れのせいだろうか。もっとも、「0」という概念の歴史は古いらしいし、それについて考え始めると切りがないので、深く追求することは止めておくが、上下の階の表現に「0」を用いるのは、あながち不思議ではないのかもしれない。

2階は1階 その2 2013.03.15

それに関して興味深い事実がある。日本では、庶民は高い建物を建ててはいけないという決まりが、かなり古くにできていたのだ。このことは、ドイツ民俗学に詳しい坂井洲二先生が書かれた「ドイツ人の家屋」の中で知ったのだが、他にもいろいろと調べてみると、1650年頃に「身分に基づく3階建て禁止令」が取り決められ、武家屋敷以外の建物は、3階以上にしてはならないということになったらしい。

また少し調べてみたら、享保の改革においても、家作りは棟高を低くして建てるようにとのおふれが出て、さらに1806年には、棟高が2丈4尺(約7.2m)に制限されたという。それらは倹約令の一つで、要は庶民の贅沢を禁止するための幕府の決まりであった。その後、江戸時代の後半になって、商人たちが力をつけて来ると、豪商の中には3階立てに近い店を建てることが許され初めて来たのかもしれないが、それ以外の庶民は、高い住居を建てることができなかったのだ。

その一方で、日本に高い建物を建てる技術がなかったわけでは決してないことは歴史が証明している。古くは五重の塔に始まり、寺社仏閣などは、高さはそれほどではないものの、木造による大型の建築であったし、ましてや各地に建立された城などは、土台の部分が高いとはいえ、遥か彼方まで見通すことのできる高層建築そのものであった。一昨年に視察し、いまも改修工事が行なわれている姫路城は、現存する一つの事例であろう。

それに対して、ドイツや欧州では、城壁の内側にしか済むことが許されていなかったため、人口が増えて来ると、住居を確保するためには、既存の住宅を上階に建て増しする以外に方法はなかった。だから、中世の時代に、すでに4層や5層にもなる集合住宅が建てられて来たのである。そして、おそらくだが、その1階には何がしかの店舗が入居していたと思われる。つまり一般の住居は2階から上階に配置されることになる。

2階は1階 その1 2013.03.14

日本では、地面と同じ位置にある階を1階と呼ぶ。その上は当然2階で、その下の階は地下1階である。一方、ドイツでは、日本の1階にあたる階は「地上階」と呼び、その上階が1階となる。つまり、日本の2階がドイツでは1階扱いとなるのだ。知っている方には、わざわざ説明することのことでもないが、この階のずれは、ドイツだけではなく、フランスやイギリスでも同じである。欧州のそれ以外の国がどうだったかは意外と思い出せないが、おそらく大差ないだろう。

ドイツで昇降機に乗ると、日本の1階にあたる地上階は「0」表示と表示されていることが多い。あるいは、地上階を示す「EG」と示されていることもあるだろうか。「EG」とは「Erdgeschoss/エルドゲショース」の略である。「Erd(e)」は「地面」、あるいは「地球」であり、「Geschoss」は「階」だから、「地球階」と言えなくもない。ともかく、ドイツに来て、宿泊施設に泊まった際、渡される部屋の鍵に112と書かれていたら、日本式の2階の12号室ということだ。

でも、なぜ日本では、地上階を1階と呼ぶのだろう。私は中国や韓国の事情をまったく知らないのだが、少しだけ調べてみたら、アジア諸国も日本と同じように、地上階を1階と定義しているようである。同様なのがアメリカで、どうも、それ以外の地域では、欧州方式らしい。だから、日本の1階という呼称が、アメリカの1st floorから影響を受けているということではないと思う。あと、イスラム系の国々のことも気になるけれど、そこまでは調べ切れていない。

と、ここまで書いておいて、急に持論を展開するほどのことでもないのだが、もしかして、日本やアジアの国々には、もともと高い建物がなかったために、階数を多く分ける必要性がなかったのかもしれないと思い始めた。隣国の韓国や中国のことまではわからないが、日本も江戸時代までは、庶民の家は、ほとんどが平屋で、その上階があったとしても2階までであってことが大きく関係してはいないだろうか。

ぬるい雨 2013.03.13

夕方を過ぎてから小雨が降り始めた。天気予報によると、朝方にかけて結構降るらしい。でも気温が高いせいか、風は何だか生暖かい。それを温(ぬる)いと呼ぶのは変かもしれないが、そんな感じさえ受ける。そしてこの時期、決まって思うのは、「春雨じゃ、濡れて参ろう」という有名な台詞である。それを、ここで詳しく説明するほどのことでもない。

このまま暖かい雨が続くのかと思ったが、深夜になって気温が下がって来たようだ。明日はまた寒くなるらしい。もう三月も半ばだから、一月や二月のような冷え込みにはならないと思うが、昼間の最高気温が10℃くらいだから、ここ数日の暖かさに比べたら、寒く感じるに違いない。厚手の上着を着るのも、そろそろ最後になりそうである。

三寒四温 2013.03.12

ここ数日、寒暖の差が激しい。一昨日の日曜は、気温が25℃近くまで上がったが、昨日は一転して、また寒くなった。今日は、その中間くらいだろうか。これを三寒四温というには、変化が大き過ぎると思う。もう少し、緩やかに春を迎えるような状況であれば、過ごしやすいのだろうけれど、どうもそうはならないようだ。

そういえば、郷里の北海道では、東京では考えられないくらいの厳しい冬が続いているようだ。今月初めには、道東の方で、暴風雪に巻き込まれた人が何人も亡くなるという痛ましい事故が起きたばかりである。冬でも暖かな場所を行き来することの多い北海道の人は、真冬でも意外と軽装だったりするから、それが逆に災いしてしまったのかもしれない。

この時期は、暖かくなったり、寒くなったりしつつも、少しずつ春らしい気候へと変化して行くけれど、その前には、春台風とでも言うような発達した低気圧が必ずやって来たりする。冬の最後の悪足掻(わるあが)きとは思わないけれど、季節の変わり目には、必ずといっていいほど、荒天に見舞われたりする。

自然というのは、どこかで辻褄(つじつま)が合っているのかもしれない。そう考えると、地球というのは、よくできた巨大な一つの環境空間だと思えてきたりするのである。

現場監理 その3 2013.03.11

今回、現場で起きたことは、人命にかかわるような取返しのつかないようなことではなかった。でも、お互いの信頼関係に疑問がつくきっかけにさえなりかねないことである。もちろん、それは自分自身にも返って来ることだから、一方的に相手を責めることなどできない。だからこそ、自分の気持も引き締めなくてはならないと思う。

そんなことを感じつつも、建築に携わっていると、互いに、持ちつ持たれつの関係だとも強く思う。それは馴れ合いの関係という意味ではない。それぞれ立場が違うから、その職務を全(まっと)うするだけである。ただ、そこには相手を信頼することによって得られる安心感が必要だったりする。

この人だったら任せておいて大丈夫だ、とか、彼なら先回りして解決してくれているかもしれないという期待感と依存感とでもいうのだろうか、そんな他力本願的な気持が沸いて来ないとも限らない。自分のことは棚に上げて、実に失礼なのだが、そんな関係が上手く行けば、現場も気持ち良く動いて行くのだと改めて感じた。

一つの建物が完成するまでに、自分自身も多くを学ばせてもらいながら、そして少しかもしれないけれど、一緒に成長して行きたいと強く思うのである。

現場監理 その2 2013.03.10

構造事務所の所長が来て、どういう判断を下すか心配だったが、結論的には、現在、進めている補修を継続して良いとのことであった。不具合箇所は全体から見ると一部とはいえ、全部で20か所近くもある。もしかしたら、問題のある場所をすべて取替えという判断もあったかもしれない。そうなれば、工期にも影響して来る。

今回の件を前向きに捉えれば、いま見つかって良かったと考えるべきだろう。その一方で、もっと早くに気がつかなければならなかった。構造設計者も、週に数回は来ているわけだから、見落としてしまったことは素直に反省しなければならない。むしろ心配なのは、報告がなかったことによって信頼を失うことだ。

間違いを起こすことは誰にでもある。自慢することでは決してないが、私だって設計図書に描き漏らしたことは、これまでもたくさんあるし、今回の現場でも、同じようなことがすでに生じている。抜けてしまっている内容については素直に認めるしかない。そして、その対応をどうするかが求められる。

現場監理 その1 2013.03.09

週末の土日のうち、土曜日は現場が動いている。全休は日曜日だけだ。午後、現場を確認に行くと、不具合が見つかった。構造に関するかなり重大な問題に思えたので、構造事務所に電話し、現状を写真に撮ってメールで送った。土曜日にも関わらず、たまたま所員が出ていて、偶然にも所長がいるというので、急遽、現場まで来てもらうことにした。

今日まで気づかなかったのだが、筋交いとガセットプレートに、極めて問題のある不整合な箇所があるのだ。鉄骨の仮止め状態が続いていたので、本締めになるまで意外と気がつかなかったのである。この状況に関して、事前の説明もなく、勝手に補修工事を行なっていたため、作業を中止してもらい、構造事務所の判断を仰ぐことにした。

現場というのは、施工者と監理者の互いの信頼と理解の上で進んで行くものである。いや、そうでなければならない。それに対して、今回の不具合を監理者に報告しなかったことは、到底、認められる状況ではない。こんなことを、ここに書くべきではないのかもしれないが、教訓も込めて正直に語っておこう。