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文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

申告完了 2013.03.08

現場を確認したあと、予定通り、大手町にある東京国税局に向かう。無論、確定申告を行なうためである。わざわざ出向かなくても、最近はe-Taxと呼ばれる電子申告があるし、書類さえ自分で作成できるのであれば、各税務署でも受け付けてくれるのだが、そうやって申告をしている人は、一体、どれくらいいるのだろうかという疑問が私にはある。もしかしたら、どこかに統計でも出ているのかもしれないが、調べている時間はない。

ともかく、申告書類を自ら作成するのは、そうたやすいことではないと思っている。だから、申告書類作成会場まで出向いて、そこで係の人の指示に従いながら、項目と金額をPCに打ち込んで行くことで、ほぼ問題なく、種類はでき上がるのである。もちろん、税理士や会計士にお願いすれば良いのだろうけれども、そこまで複雑な金銭の出入りがない人は、自分で申告すれば良いだけのことなのだ。

締切まで、まだ一週間あるし、金曜の午前中ということもあるのか、去年、申告に行った日と比べたら、待っている人はかなり少なかった。ただ、昨年も書いたように、子供連れの女性や高齢者の方が、椅子もないところで待つのは大変だ。子供を背負った女性が、すぐ後ろにいたので、先を譲った。その方にも係の人にも丁寧に感謝された。でも、そのさらに後ろにいた女性は無視してしまった。私も早く済ませたいので…。ごめんなさい。

今回の申告はとても順調で、最初に10分ほど待たされたけれど、その後は、20分ほどですべての種類が完成した。あたり前のことだと思うけれど、種類を作成する会場にいる係の人は何でも知っている。PCに入力すべき項目を訊けば、すぐに答えてくれるし、医療費控除が受けられるのかと問えば、その必要最低額も電卓を叩いて、すぐに算出してくれる。まさに税金の専門家で実に心強い。税務署というと何だか対応が厳しい感があるが、実際の対応は実に丁寧である。

最後に申告書類を出力してもらい、それを提出して、確定申告は終了した。別に何か特別なことをしたわけでもないのに、この程度で何とも清々しい気分になってしまうのであった。

中間検査 2013.03.07

一昨日のことだが、工事が進んでいる建設現場の中間検査を受ける。14時からの予定だったが、検査機関の方が、時間を少し早めて欲しいということなので、13時半に変更した。少し早めに着いて待っていると、担当の方は、さらに15分近くも早くやって来た。午後に、いくつか現場を廻らないといけないらしい。

検査は雑談から始まった。建て方が終了し、階段も設置されているとはいえ、床はまだないから、上階に上がるのは危険である。図面と形状のほか、鉄骨梁や柱の寸法といった基本的なことを確認してもらう。そして、検査は問題なく終了したのだが、最後になって、必要な書類が提出されていないことがわかった。

中間検査の申込の際に、事前に準備をしていなければならない書類があったのだが、電話では、それとは別の報告書を用意しておいて欲しいと言われたので、他には特に何も準備してなかった。しかし、もう一式が必要だったのである。急遽、作成することになり、また時間に終われることになった。そして、検査から二日後の今日の夕方、検査機関に手渡しで届けた。

事後報告という形になったが、これで中間検査済証は受領できそうである。

収支内訳な一日 2013.03.06

気になりながらも、まったく手をつけていなかった毎年の恒例である確定申告書の作成作業を朝から始めた。無論、昨年の今頃も同じようなことをやっていたが、申告を終えたあと、毎月末に会計をまとめる努力をしようと宣言したような気もするのだが、実行が伴わないまま一年が過ぎた。

憂鬱な気持を切替えて、帳簿の整理を始めてみたら、昨年の1月分は収支状況が明確になっている。でも2月は手つかずのままだ。ということは、1月だけは実行できたのだが、2月には、あっさり力尽きてしまったことがわかる。それでも1月分だけは、まとめてあったことは驚きでもあった。しかし、いつものように、そこからが長かった。

収支内訳書の作成といっても、何ら難しくはない。ただ、面倒に感じられるだけなのだ。控除もいろいろあるし、源泉徴収などの還付金を受取れるわけだから、それが時給だと思って、張り切ってやれば良いのに、なぜか気が乗らないお金の計算。逆にそれが好きな人には、たくさんのお金が入って来るように、世の中は出来ているのかもしれない。

そんなことを考えながら作業を続けて、どうにか夜には仕上がった。これで申告に行けそうだ。東京国税局に行くのは金曜日としよう。

名刺作成 その2 2013.03.05

問題はここからだ。いまの名刺と合わせて、出力した原稿をもとに、色の指定をお願いしたいと窓口の女性に伝える。最初は面倒なことをいう人だなあという感じに受け止められたように見えた。でも、データを渡してみると、別の男性が画面を見ながら、「いくつか見本の色を出せますよ」と言ってくれた。それといまの名刺の色に近い色を選んでもらえれば、ほぼそれと同じ色で出力できるという。何という親切な対応であろうか。しかも一日もかからずにできるらしい。取りあえず100枚頼んだ。

注文したのが土曜日で、二日後の今日、受取りに行った。「こんな感じで宜しいでしょうか」と差し出された名刺は、真ん中に大きく穴が空いた紙の箱に入っていたが、そのでき上がりが完璧に近いことは一目でわかった。取出してみると、やや紙に光沢があるので、指紋がつきやすいように思えたものの、触ってみると、それほどでもない。私の我が侭な注文にも、嫌な顔をせず対応してくれて本当に感謝である。そこで、すぐに200枚、追加注文をした。

名刺というのは、少なくなって来ると気になるものだ。初対面の人に「名刺を切らしていまして…」とは言いたくない。なのに、新しく刷るというのは意外と面倒だったりする。いまはオンラインで元図を入稿することもできるけれど、色付きの名刺を安く印刷してもらうとなると、こちらの意向を的確に伝えないといけない。今回、初めてお願いした印刷会社の方が丁寧で、とても満足している。そして、自分も同じように思われるようにしないといけないと感じた。

某印刷会社の方、親身な対応を頂き有難うございました。感謝です!

名刺作成 その1 2013.03.04

これまで何度か名刺の印刷を依頼していた会社の前を通ったら、閉店したらしく、いつの間にか、建物の中は何もない状態になっていた。名刺の残りが少なくなって来たので、そろそろ注文しようと思っていた矢先のことなので、どうしようか少し悩んだが、最近になって、いつも通る大通りに別の印刷会社が営業を始めたから、そちらに行ってみることにした。店舗自体は大きくはないものの、一通りの印刷業務を行なっているらしく、もちろん名刺の印刷も問題ないはずだ。

驚くべきことの一つは、コンビニエンスストアのように、24時間営業なのである。確かにいろいろな企業が多い場所とはいえ、同じように昼夜を問わず営業している印刷会社が、近くにもう数軒あることを考えると、それだけの需要が、あるということなのだろうか。私がとやかく詮索するほどのことでもないのだが、24時間営業にすべきなのかは、甚だ疑問ではある。いや、何せ忙しい東京だから、翌朝までに仕上げて納品しなければならないという注文も意外と多いのかもしれない。

ともかく、その印刷会社を訪れた。ここは、本当に小さな会社で、受付窓口も、競合する他のところに比べると、余りにも小さいし、窓口の向こうの作業空間も手狭な感じが否めない。大きさにして、数メートル角の中央に大型のコピー機が配置されていて、その周囲のわずかな空間で作業をしているというような感じなのだ。実に失礼な言い方なのだが、何というか、一切の印刷業務のを請負っている大学の部室のようにさえも見える。

ろうそくの炎 2013.03.03

そういえば、今日はひな祭りである。それとは全然関係ないが、最近になってまた、打合せ机の上に、ろうそくを灯すようになった。もちろん、仏壇にあるような細いろうそくではなく、平たい小さなガラスの容器に入れて使う、卓上用の小型のものである。

マッチを擦って火をつけると、それだけで何だか緩やかな雰囲気が醸し出されるように感じられる。それと同時に、時間の流れが緩やかになる気がするのだ。ろうそくの光に照らしだされた空間には、独特の時間が生まれるのだろうか。

外出したり、人に会ったり、現場に行ったりすると、多少なりとも緊張感のある時間を過ごすことが多いが、帰って来て、ろうそくに火をつけると気持が一気に穏やかになる。そして、小さく揺らめく炎を見ると、段々と気持が落ち着いて行くのである。

ろうそくの火というのは、不思議なことに、いろいろな記憶を呼び起こしたり、あるいは、普段、見つめることのない、内面の自分を引出してくれたりするのかもしれない。それと同じように、むせ返るような暑い夏の墓地で、陽炎(かげろう)ををつくりながらゆらめくろうそくもまた、いつかどこかで感じた遠い郷愁を呼び起こしたりもする。

ろうそくの炎というのは、いつもはどこかに仕舞われてしまっている人間の記憶の引出しを開いてくれるのかもしれない。

建て方開始 その2 2013.03.02

昨年の夏、珍しく必死になって図面を描いた。構造事務所とも何度も打合せを行なった鉄骨階段も、問題なく、どうにかうまく納まったようだ。いまでこそCADを使っているが、二次元の紙に描いた設計図から、こうして三次元の建物ができ上がって行く光景を前にすると、小さい建物だけれど、これが建築の醍醐味といえるものなのだろうかと改めて自分に問いかけてみる。いや、それよりも、建築に携わっている一人の人間として、大きな責任の方を強く感じる気がするのである。

よく言われるように、実際に建物が建ったときには、ことばでは表すことのできない感動があるという話を聞く。でも、それは本当なのだろうか。いや、その気持を理解できないわけではないし、むしろ共感も覚える。ましてや、竣工したときの達成感とか満足感は、確かに何にも代え難いとも思う。ただ、個人的には安堵感の方が強いかもしれない。それと同時に、竣工してからの使われ方の方が気になったりする。

別に捻くれた見方をするつもりはないのだが、うまくまとめられなかった箇所のことに思いを巡らせてしまったりもする。重要な確認事項は、もちろん建築主からの了承を得るし、大きな変更などもつねに確認を取ることはもちろんだが、意外と気になる点は、建築主に知らせる必要のない本当に軽微なことだったり、あるいは、それを伝えたとしても、まったく問題にならないようなことだったりもする。

でき上がって行く鉄骨を見ながら、そんなことを考えた。

建て方開始 その1 2013.03.01

先日、鉄骨検査をした物件の鉄骨の建て方工事が昨日から始まった。柱も梁も工場でつくられて現場に搬入されるから、今回のように4階建ての建物だと、ほんの僅かな日数で上棟を迎える。高さが12mほどだが、運搬における長さの制限があるため、柱は3階と4階の間には接合部がある。それ以上長いと運べないからだ。約二日で、最初の柱をすべて建てる工程が組まれている。

建て方は問題なく進んで行く。工事に支障がないかを確認するのは、15分程度もあれば十分なのだが、新しい鉄骨が運ばれて来ると、何だか気になって、吊り上げられて行く柱や梁の行方を、つい見てしまう。そして、施工会社の人に、「では引き続き宜しくお願いします」と言って現場を離れかけるのだが、鉄骨が組み上がって行くのを写真を取りながら、またしばらくの間、観察する。少し暖かくなったとはいえ、ずっと見ていると身体が冷える。

以前にも書いたかもしれないが、建築というのは、本当に多くの人がかかわってできて行く。いや、車に代表されるように、大半の工業製品でも同じことがいえるのかもしれないが、沼津の鉄工所でつくられた鉄骨の柱や梁が運ばれて来て、そして重機を使って吊り上げられ、次第に建築という形になって行く。あたり前のことなのだが、何だか不思議な感じがする。

建具図確認 2013.02.28

都内の現場で建設工事が進んでいる物件の建具図の最終確認をする。本来なら、もっと早めに図面を確認しないといけないのだが、どうしても遅れ気味になってしまうのは、いつものことである。見積のときから今日まで、一体、何度、図面を描き直してもらっただろう。最低でも5回はお願いしているはずだ。そして、最終承認をしなければならない段階になっても、まだ図面のやり取りを続けている。でも、それくらいのしつこさがないといけないのだとも思う。

どうして、それほどまでのやり取りが出て来るのかというと、うまく答えられないかもしれないが、例えば、床の仕上げの高さを変更したりすれば、建具の高さも変わって来る。靴摺りは床面から、どれくらい出ていれば良いのか、扉の前後で床の高さが変わる場合には、下枠の高さは、どの程度あれば良いのかということを電話で確認し、図面を訂正したりしていると、それだけでかなりの時間が過ぎて行く。でも、納期を考慮すると、これ以上は引き延ばせない。

図面に最後の赤訂正を入れて、この変更をもって承認しますと書き添え、PDFで送った。これで安堵だが、承認後も、また訂正が出て来ることはよくあることだから、それを頭に入れておこう。他にもアルミ製の開口部もあるから、その図面も確認しなければならない。一つの建物をつくり上げるには、こういった図面の確認という作業が何度も必要であり、それが設計事務所の役割でもある。奇麗な納まりになるよう、これからも留意したい。5月末の竣工が楽しみである。

設備図面完了 その2 2013.02.27

世の中には、機械設計や工場の設計など、いろいろな図面がある。そのどれもが地味な作業に思える。派手な車ができ上がるのも、図面なくしては有り得ない。建築に華々しさが必要かどうかは別としても、いずれにしろ何がしかの図面は必要だ。手練れた大工さんのように、長年の経験から図面がなくても家が建ったりすることもあるかもしれないが、設計図書というのは、何かものをつくるときの根幹を成すものだともいえる。

それはともかく、短い時間で、簡単な図面をCADを使って描き上げた。最近、受けている業務は、意匠設計と設備設計が入り交じっていることが多く、それらを平行して行なうのは、なかなか難しい面があるし、どちらを主に行なっているのか紛らわしい面があるが、意匠も設備もできるというのは、それはときとして強みになるのではないかと、勝手に自分を鼓舞したりしている。

あれもこれもできることは、ときに表面的になってしまうことがよくあるし、つねに良い方には捉ええてもらえない場合もあるけれど、どちらの視点も大切にしながら、意匠と設備の間を取り持つような活動につなげて行けたらと思っている。時間がかかるかもしれないが、それを目標に歩んで行こう。そしていつか、ある一つの建築として具現化できれば、こんな幸せなことはないと思うのである。