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文章 視察 還流独歩 大福企画

2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

設備図面完了 その1 2013.02.26

今日の午前中に終わらせる予定であった某物件の設備図面が、まだ2枚残っているのに、所用で朝から出かけることになった。作業的にはそれほどでもないのだが、機器表や器具表を書き込まなければならないので、意外と時間がかかるものである。もう一つは弱電コンセント関連の図面である。細かく言えば、結線図なども必要になることも多いのだが、小さな物件なので、そこまでは求められない。

外出の合間を縫って、15時前から始めた。1枚1時間で終わらせたいが、A3版の図面とはいえ、そんな簡単に描ききれるものではない。冷房負荷を再確認し、天井型カセットエアコンと、それに合わせた室外機の容量を出す。これも難しくはない。設備設計とはいえ、カタログから機種を選ぶことに対して、ことばにならない微妙な鬱積を感じつつも、それが現実だったりもする。

室内機からのドレン排水は、雑排水系統に接続することにしてあるが、臭気の問題は、なかなか解決できていない。自治体によっては、雨水に接続しなければならないところもあるし、確か東京の場合、ドレンは雑排水系統に接続しなければならなかったはずだ。排水系路などを確認していたら、密度などまったくない図面なのに、結局、3時間近くかかってしまった。いつも思うのだが、図面を描き始めると、瞬く間に時間が過ぎて行く。

出発進行 その4 2013.02.25

余談だが、ドイツ語というのは、堅くて難しい表現の多い言語だと改めて思う。いや、習得の難しさだけで言えば、ロシア語やフィンランド語、ハンガリー語の方が遥かに難解な言語ではあることは間違いないが、ドイツ語を知らない人が、この言語を聞いたとき、遊びも隙間もないような響きに感じられる気がする。実際、ドイツ語をカタカナにしただけでも、何だか堅苦しくて、融通が利かなそうな言葉に聞こえるから不思議である。

話は戻って、もし、ドイツの運転士が、「ズィグナール・カイン・プロブレーム!」などと「声出し確認」を行なっているのを聞いたとしたら、自然と笑いがこみ上げて来てしまいそうだ。そんな私は変な人間かもしれないが、ドイツのことを少しは知っている人なら、多少なりとも共感してくれそうな気もしている。そして、「Das ist Lokführer / ダス・イスト・ロークヒューラー!(これが運転士だ!)」などと叫ぶことさえも想像してしまったりする。

さらに続けて、「Lokführer muss so sein / ロークヒューラー・ムス・ゾー・ザイン!(運転士はこうでなければならない!)」と言ったりすることも、絶対にないとは言い切れない。ということで、いつになく話が脱線してしまったが、そもそもの原因は「声出し確認」が気になったからである。それが悪いなどとは決して思わないが、「出発進行」という声を聞くたび、それにあてはまるドイツ語を探してしまったりするのである。

電車の運転士の皆さん、今回は失礼な内容で申し訳けありません。どうか、お許し下さい。

出発進行 その3 2013.02.24

そこで念のために、鉄道の信号を意味するドイツ語を調べてみたら「Signal」と言うらしい。ただし、読み方は少し違っていて、ドイツ語だと「ズィグナール」である。この「ズィグナール」は、腕のような指示器を上下に動かすことによって発停を合図するアナログ式の「腕木式信号機」に由来しているようだ。そして「鉄道信号器」を正式名称は、「Eisenbahnsignal / アイゼンバーンズィグナール」と言うらしいこともわかった。

ということで、一般の交通に使われている道路にある信号は「Ampel / アンペル」だが、鉄道では「ズィグナール」らしい。そこで疑問はさらに拡大することになる。仮に「信号よし」が「Signal gut / ズィグナール・グート」だとして、信号が目の前にある確定されたものであれば、英語の「The」にあたる定冠詞がつくかもしれない。つまり「“Das” Signal 」となる可能性がある。ましてや信号がいくつかあったら「 (Die) Signale / ズィグナーレ」と複数形で言うのだろうか。

そんなことを考える暇があるなら、他の作業に時間を割いたりすべきなのだが、気になり始めると、何らかの答えが欲しくなる。しかも、意外と新たな発見があったり、語彙の勉強になったりもするから、その時間が無駄だとは言い切れない気もするのである。何ごとも興味を持つことは大切だし、ましてや、ある程度、勝手がわかっている国のことだからこそ、面白くも感じるのだと思う。

出発進行 その2 2013.02.23

確かにドイツでは、こういった声を出しての確認というものを聞いたことがないように思う。それよりも、いつだったICEの最前方に乗車したとき、発車してから運転士が席を立ち、窓から顔を出して、後方を確認しているのを見たときは少々驚いた。確かにまだ加速する前の徐行のような速度であったから、席を離れても問題ないとはいえ、それまで見かけたことのない光景だったから、そんなことをしても良いのかと大いに疑問を持ったものである。

日本とドイツの何が違うのかについて、いつも自問自答を繰り返しているが、それに意味があるのかと訊かれれば、何とも答えようがないのだが、それは実に些細なことだったりする。気がついたその一つが、運転士の「声出し確認」である。それを聞くたびに、不謹慎な笑いがこみ上げて来てしまうというのは、日々、安全運転を心掛けていることに対して、極めて失礼な話ではあるものの、同じようにドイツ人の運転士が声を出したら、どうなるのかと考えたりしてしまったりする。

例えば、「出発進行」は「Jetzt fährt’s ab ! / イェツト・フェアツ・アップ!(いま出発するところだ)」だろうか。いや、単純に「出発」という単語だけで良ければ、「Abfaht / アップファート」かもしれない。「信号よし」は「Ampel gut / アンペル・グート」とでも言うのだろうか。いや、それでは信号そのものが良い状態を保っているとも受取れるので、ドイツ語では「信号に問題なし!」かもしれない。となると「Ampel kein Problem / アンペル・カイン・プロブレーム!」だろうか。

出発進行 その1 2013.02.22

電車に乗っていると、運転士が運行の確認のため、声を出しているのを聞くことがよくある。単純に「出発進行」だったり、「信号よし」だったりする。たまに、とても渋い声の人がいたり、あるいは、何もそこまで大きな声を出さなくてもよいと思える人もいる。しかも、運転席に二人いる場合は、輪唱のように声を出すので、反復するときなど、自然と笑いがこみ上げてきてしまったりして、自分でも可笑しくなる。

安全に運転してくれるのだから、別に何も失礼なことを言うことはないのだが、いつだったか、ドイツから来た人と電車に乗っていたとき、運転席から聞こえて来る唸り声について訊かれたことがあった。そのときの運転士は、声が特に低く、日本語であっても、一体何を言っているのか、日本人の私にさえわからない感じだったのだが、そのとき以来、この「声出し確認」が、とても気になるようになってしまった。

そして、そのドイツ人への説明として、運転士は、発車時や、信号が青かどうかを確認する意味で声を出してしているのだと伝えた。それに対する反応は冷ややかに感じられた。いや、私の勘違いなのかもしれないが、その彼の顔には、「出発するかどうかなど、運転士が自ら決めて発進するのだし、信号が赤か青は見ればわかるのだから、わざわざ声を上げる必要はあるのか…」、とでも言いたげな表情が表れていた気がするのである。

車内の譲り合い 2013.02.14

地下鉄が都内の某駅に着いたとき、杖をついた初老の男性が乗って来た。そのとき、3人掛けの優先席の一番奥に座っていた私は席を譲ろうと思い、PCを閉じ、鞄を腰のあたりに抱えて立上がりかけた。そうしたら、真ん中に座っていた左隣りの女性も同じように立上がった。そしてさらに左端に座っていた3歳くらいの子供を連れた女性もが、その男性に席を譲ろうと腰を上げたのである。だから、優先席の3席がすべて空いた状態になった。そして驚くべきことは、乗降口を挟んだ向こう側の男性が、子供連れの女性のために、どうぞと言って立ち上がったのが見えたのである。いっぺんに空いた車内の4席。どこに座れば良いのか少々たじろぐ杖の男性。立ち上がった4人と、そこに広がる何となく場が納まらない譲り合い同士の心理感。結局、子供を連れた女性が「次で降りますから」と言って、半ば強引に席を譲ったので、私と隣りの女性は座り直すことにした。そして、その場は次第にもとの雰囲気に戻った。

そういえば、10数年以上も前、旧東ドイツを旅していたときに、若い男女がお年寄りに席を譲るのを見かけたことがある。それは確かドレスデンだったと思う。路面電車の中で立っていた私は、停留所に着いたときに、扉の外に腰の曲がった男性がいるのが見えていた。そして扉が開いた瞬間、近くに座っていたその男女が、まさに起立するかのように一気に立ち上がったのである。それは軍隊で訓練を受けているかとさえ思えるような瞬時の反応だった。そんな光景を初めて見た私は、正直、驚愕した。間髪を入れず、奇麗に立ち上がった姿と、その席を譲る潔い姿勢が、あまりにも格好が良かったからだ。それを見たら何だか気持が大きく揺さぶられるのを感じた。自分もこうでありたいさえ思う光景でもあった。東西ドイツが統合して10年以上も経ってはいたけれど、旧東ドイツ時代では普通のことだったのかもしれないと、やや偏見に満ちたことさえも考えた。

これから先、今日と同じような状況に置かれたとき、彼らほど格好良く席を譲ることはできないかもしれないけれど、そうありたいと思っている。

水道水の温度 2013.02.13

昨日くらいから、水道水の温度が、いままでよりも明らかに冷たくなっている気がする。外気温の変化なのだろうか。それとも先週、少し雪が降った影響なのだろうか。これが地下水のように、年間を通じて15℃くらいであれば、冬は温かく、夏はほど良く冷たい水が得られるはずだが、遥か遠くから供給される上水に、それを求めるのは無理であろう。

試しに水道水の温度をセンサー付きのデジタル温度計で測ってみたら7.5℃だった。手の感覚からして、2、3℃くらいか、あるいは高くても5℃程度ではないかと思っていたが、さすがにそこまでは冷たくはなかった。そこで、昨年2月の平均気温を調べてみたら、5.4℃だから、水温は平均外気温とおおよそ同じといえなくもないのかもしれない。

さらに興味がわいたので、冷蔵庫の中の温度も測定してみることにした。庫内の温度は5.5℃で、冷凍庫は氷点下15℃である。室内が寒いせいか、庫内に手を入れても全然冷たく感じないが、水道水の温度よりも低いことがわかった。冷凍庫の方は、氷点下5℃くらいかと思ったが、意外と低いものである。

普段の生活において、気温とか湿度は気にはするけれど、水温とか冷蔵庫の中の温度を測ることは滅多にないと思う。もっとも最近では、庫内の温度も設定できるような冷蔵庫もあるのかもしれないけれど、身の回りの温度というものににも、もっと意識を向けて行きたいと思っている。

あれから一か月 2013.02.12

ちょうど一か月前に東京を離れてから、また何も書き込めない日々が続いた。一月下旬にミュンヘンで開催されたBAUの報告や、今回、ドイツやオーストリアで見て感じたことを自分なりに綴りたいと思いつつも、いつものように時間だけが過ぎてしまった。こういったことは、早く書かなければ新鮮味を失ってしまうし、自分の記憶からも消えてしまうから、どんな些細なことでも書き留めておくべきなのに、恥ずかしながら、なかなかできないものである。

そして、約2週間の移動を終えて、東京に戻って来たのは1月28日(月)であった。それからまたちょうど2週間が経過した。だいたいいつもそうなのだが、東京に戻ってきてから、また以前の流れを取り戻すのに半月ほどかかってしまう気がする。時差の問題なのか、あるいは気持の持ちようなのかはわからないが、いろいろなことが落ち着くまで、毎回、それくらいの時間を必要とするようなのだ。

よく言われることだが、1月は行き、2月は逃げて、3月は去って行く。まだ寒い日が続いているが、またあっという間に暖かくなって、春がやって来るのだろう。冬という季節を楽しみながら、緊張感のある日々を過ごしたいと思っている。

巳年初飛行 その2 2013.01.12

その後も、何度か仮眠を繰り返しているうちに、フランクフルトが近づいて来た。そのまま順調に着陸するのかと思ったが、空港の20kmほど手前で大きく右に旋回し、逆方向に向かい始めた。おそらく混雑か何かの影響で、着陸許可が下りなかったのだろう。目の前のモニターに示された目的地までの距離が逆に増えて行く。いま飛行して来たところを斜めに通り過ぎ、40kmほど離れてから、8の字を描くように、今度は左に旋回して、ようやく最終の着陸態勢に入った。順調に降下を続け、もうあと数秒で着地しそうだというときに、飛行機は急に加速し始めたのである。そして、着陸することなく上昇してしまった。滑走路が遠のいて行く。周囲の人に広がる微妙な疑問。

その後、機長から状況説明があった。追い風が強いため着陸を一旦回避したという。こんなことは初めてである。私は航空関連の専門家ではないが、着陸体制に入っているときに、いつもよりも高度が高いような気がしていた。しかも着陸位置が、滑走路の端ではなく、通常よりも前の方に行き過ぎているようにも見えた。追い風の影響を受けて、十分に降下できなかったのかもしれない。空港を離れた飛行機は左に旋回し、また20kmくらい離れたところまで飛んで行き、もう一回、左に大きく回って、二度目の着陸態勢に入った。今回はどうだろうか。誰も口にはしないけれど、無事に着陸して欲しい。そんな心配をよそに、二階建て飛行機は軽い振動とともにフランクフルト空港に着陸した。

荷物を受け取り、フランクフルト長距離新幹線駅を15:09に出発するICE新幹線でケルンに向かう。座席予約の表示が出ている席があったが、誰もいないので、隣りの席の人に声をかけてから窓側の席に座る。窓越しに外に目を向ければ、見慣れた光景が通り過ぎて行く。新幹線は、ライン川をまたぐホーエンツォレルンン橋の上で、いつものように減速したあと、静かにケルン中央駅へと到着した。天候は曇り。気温は0℃くらいだろうか。寒いけれど、昨年のこの時期に体験した氷点下18℃に比べたら遥かに暖かいし、東京とほとんど変わらない気もする。雪もまったくない。駅前の停留所で5分ほど待つと、バスは定刻通りにやって来た。今回も、20時間近い移動を無事終えて安堵である。

巳年初飛行 その1 2013.01.11

夕べ、日付が変わったあとに就寝し、午前3時に起床。多少は寝たものの、いつものように、ほぼ仮眠状態である。起きても覚醒状態が続いているような感覚だ。これから寒いドイツへ移動するのだが、今日の東京は冷え込んでいるし、空港に行けば逆に暖かい。荷物を抱えているので、いつも暑くなる。飛行機は乾燥しているとはいえ、それほど不快な温度ではない。そんな状況になることには慣れてはいるものの、何を着て行けば良いのか考えつつ、片付いていない机を整頓しながら、衣類をまとめた。できることなら、出発前日にすべての準備を終わらせ、しかも、ゆったりとした気分で翌日を迎えたいと思うのだが、そんなことは一度も実現したことがない。

午前5時半。真っ暗な中を歩いて日本橋へ向かう。地下鉄はすでに動き始めているらしく、こんな時間にもかかわらず、歩いている人がいる。成田空港行きの直通電車は定刻にやって来た。最前方の車両には大きな荷物を持った人が数人いるが、この時間だとさすがに空席が目立つ。地下から地上に出て、停車駅に着いたときに扉が開くと異常に寒い。座席暖房は入ってはいるものの、いくつかの駅に止らず快速運転区間に入ったら、乗降口付近の隙間から入り込んで来ると思われる冷えきった外気が足下をすり抜けて行く。少し離れた席にいる男性は足をさすっているし、襟元を何度も締め直している人もいる。筋向かいの女性は手を摺り合わせているから、皆、寒いのだろう。私も同じである。

成田空港への電車は遅れることもなく、時間通りに空港に到着した。まだ朝7時過ぎだというのに、出発待ちの人たちがかなりいる。でも、搭乗手続きの窓口には、まだ誰もいない。出発の3時間前に開くらしい。少し待っていると係の女性が何人かやって来て、手続きをしてくれた。いつものように、荷物をフランクフルト空港内で受取れるようにお願いし、席も隣りが空いているところを探してもらった。予約してあった席も隣りが空いていることはわかっていたが、我が侭を言って、4列すべてが空席のところにしてもらった。おそらく誰かが来るとは思うが、4列すべてを使って、快適な睡眠が得られることを期待しよう。

フランクフルト行きのA380は、8割りくらいの混みようだろうか。4列すべてを独り占めにしたいと思ったが、あいにく通路の反対側に男性がやって来た。多少、残念ではあるが、致し方ない。そのあと睡魔が急に襲って来て、気がついたら飛行機は、いつの間にか離陸し、巡航状態に入っていた。飛行機の座席に座ると安心してしまうのか、最近は飛び立つ前に眠ってしまうことが多くなったように思う。飛行機は千歳空港の真上を通過し、そこから日本海に入って順調に飛び続けた。溜っている写真の整理をし、いま設計協力を行なっている物件の簡易な換気計算を確認し、明日からの作業を書き出し、持って来た資料に目を通していると、飛行機の中の時間はすぐに過ぎて行く。