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2009年9月から「環流独歩-かんりゅうどっぽ」という標題で、日々の活動や、普段、思い描いていることを書き始めました。これは、JIA/日本建築家協会東海支部が毎月発行している会報誌「ARCHITECT」に寄稿させて頂いたときに、自ら付けた標題をそのまま使用しています。

移動などが多いため、抜けているところや、日付を遡っての更新も多々あります。また、どうしても誤字脱字や文章の詰めの甘さが出ることも多く、後日、読み返して気がついた箇所は、適宜、加筆訂正等を行っていますので、その旨、どうぞご容赦下さい。
 
加筆訂正:2012年1月1日(土)

足場設置の後日談 2013.01.10

昨日のことである。先日の日曜に足場を設置していた現場の脇に、コンクリートミキサー車と高圧ポンプ車が横付けされ、7階あたりの窓から建物内に圧送している光景を見かけた。既に日付が変わっている。どうしてこんな時間に、しかも室内にコンクリートを流し込むのか、まったく理解できないので、警備の人に訊いてみた。先日の騒音のときに話しかけた人と同じだった。結局のところ、深夜に行なわれているその工事は耐震補強だったのである。

ようやく納得が行った。その建物では、平日の昼間は通常通り業務を行なっているため、耐震補強の工事は夜間にしか行なえないというのである。例の日曜の深夜における足場設置も、その工事のために設けられたものだったのだ。他にも、ここ一年くらい、深夜になってから、工事車両のような車が近くに何台か止っているのを見かけたが、いずれもこの工事に関わっているに違いない。

建築構造というのは人の命を預かることでもあるから、耐震補強を行うことに対する疑問の余地はない。先日、苦情のようなことを言ってしまったが、そういう背景があるとは知らなかったから、少々反省をした。それにしても、こういった工事を夜間に行なわなければならないというのは、軽い表現で申し訳ないが、実に大変なことであろう。工事もさることながら、警備もしなければならず、それに必要な費用というのは相当な額になるだろう。

優しそうな感じの警備員さんは、「例の騒音の件、伝えておきましたから」と言ってくれた。現場監督には直接会ったから、そんなに気にしなくても良いのに、ちょっとした気遣いを受けて、何だか申し訳ない気持ちになった。それと同時に、私には関係ないとはいえ、こうやって真夜中に働いている人に感謝しなければならないとも思った。人が寝ているときに、寒風の中、警備をするのは身を削るような辛さがあるのではないか。そんなことも考えた。

時折聞こえて来るコンクリートをはつる音が、冷たい都会の空に吸い込まれて行く…。

現場着工と敷地形状 その2 2013.01.09

話は戻って、結局、現場で測量し直してもらった寸法と、私が測定した値はほぼ同じであることがわかった。その最大差は、5辺のいずれも10mm以下だ。こういった質疑が上がって来ると、やはり自分で確かめておくことがいかに大切であるかがわかる。それは測量図面を疑うわけではない。あくまでも検証なのだ。

今回の物件は計画地の面積が狭く、幅が11m、奥行はわずか5m弱である。敷地の一辺が100mもあるのなら、10cm程度の誤差も問題ないかと思うが、都内の狭隘(きょうあい)地では、数センチメートルの差異が、取返しのない状況を引き起こすことも十分に有り得るから、その点は細心の注意を払っておく必要がある。

敷地の形状を早めに確認しておきたいということなので、タクシーで現場に向かう。結局、何も問題はなかったが、建設会社とは、こういった情報を共有しておくことは極めて大切であるから、今日の本格着工において、ちょうど良かったのではないかと感じている。事故もなく、工事が無事に終わるよう、設計者も尽力しなければならない。

現場着工と敷地形状 その1 2013.01.08

昨年12月に確認申請が下りた都内某所の某物件が、今日、本格的に着工した。本来なら、すでに工事が進んでいなければならないのだが、沿道掘削の申請や、水道、下水、ガス、電力といった関係各所との調整に時間がかかり、結局、年末年始は、まったく工事が進まない状況であった。

午前中、別の打合せのために移動していると、携帯に連絡が来た。敷地の形状が図面と違うというのだ。設計図書に用いた土地の形状は、建築主から頂いた情報をもとに作成したのが、私が実際に測ってみると、部分的に長かったり、短かったりしたことはわかっていた。こういったことは頻繁には生じて欲しくないが、実によくありがちである。

例えば、登記簿に記載の土地面積と、実際の測量に大きな隔たりが見つかることは意外と多い。建築確認申請に限って言えば、土地の形状など誰も確認はしない。確認申請とは、提出された設計図書における法的な問題点や不整合等を確認する行為であるから、変な話、実際の土地の寸法と異なる図面で申請することもできなくはない。

そんなことを、ここに書き込むと、「また建築士の設計偽装だ。けしからん!」と言われそうだが、設計事務所をはじめとして、設計に携わる者は、登記簿の寸法や測量図を参考にしつつ、自ら測り直して、設計図書を作成して行く。だから、建築士事務所が作成する土地の図面は、実際の形状に最も近似しているといっても良いのでないかとさえ思う。

深夜の足場設置 その2 2013.01.07

そのまま帰るわけにはいかない。この寒空の中、ほとんど人も通らないようなところで誘導しているその警備員に向かって、こんな時間に足場を組んでいるのかと訪ねた。厚手の防寒着で顔を半分近く隠した初老の男性は、すまなさそうに肯定した。なんでも平日にはできない作業で、朝5時くらいまでに終わらせなければならないらしい。それ以外のことはわからないという。

足場を組む音が結構響くのと、日曜の深夜にこんな作業をするのは、いかがなものかと言うと、すぐに現場監督に来てもらいますと言う。寒いので断ったが、すぐ近くにいるからというので待つことにした。責任者は1分とかからずに来た。某大手建設会社のその方には、金属音が意外と響くこと、作業する時間帯として、やや常識を外れているのではないかということを淡々と伝えた。できるだけ音が出ないようにしますと言われたが、それは無理なことはわかっている。

こういった苦情にも似たことを言ったことは、ほとんどない。でも、今日の状況では、どうしてこんな時間に作業をしているのかを訊いてみたくなったのだ。にもかかわらず、現場監督と話しているうちに、何だか申し訳ない気持ちも沸いて来て、結局、何の工事なのかを聞き漏らしてしまった。その後、騒音は多少静まったような気もしつつ、いつの間にか寝てしまったようだ。それにしても、深夜に足場を組まなければならないとは、大変な作業である。

深夜の足場設置 その1 2013.01.06

新年最初の日曜日も23時を回り、まもなく日付が変わる頃、どこからともなく、金属を激しく叩くような甲高い音が聞こえて来るようになった。うるさくはないのだが、耳に障るとでもいうのだろうか、どうも気になる音である。正月は明けたとはいえ、日曜のこんな夜中に、どこかで徹夜の工事をしているのだろうか。この通りに住んでいる人は多くはないとはいえ、まったくいないわけではない。

気になって仕方がないので、バルコニーから身を乗り出してみるが、どこかわからない。そうこうしているうちに日付が変わった。それでもまだ聞こえて来る。不思議なもので、こういった騒音というのは、一度、気になる始めると、神経に触ることが多い。そういえば、回収に出そうと思っていた空瓶があったので、それを出しに行くついでに何をしているのか確かめることにした。

上着を着込んで外に出て、瓶を回収容器に入れたあと、逆方向にあるT字路の角を曲がったら、そこには、高さが20m近くある足場が組まれている。普段なら何も驚かないが、こんな夜中に鉄骨の足場を組むとは、にわかには信じ難い光景だ。白い色を放つ投光器がいくつか並べられ、道も狭くなっている。ほとんど通る人などいないのに、警備員も一人立っているではないか。騒音は、ここから発生していたのだ。

連泊 2013.01.05

同期宅には一泊だけのつもりだったが、諸事情というか、惰性というか、妙な流れから、二泊させてもらうことになった。新年早々、こんな怠惰ことで良いのかという思いと、そんな方向に身を任せてしまう自分が悲しいが、普段の生活にも減り張りが必要だから、ここはあまり深く考えず、流れに身を任せるようにしよう。まさに自分にとって都合の良い解釈でしかないのだが、滅多にない機会ということにしておこう。今日も夜遅くまで語ってしまった。

歓待 2013.01.04

夕方、大学時代の同期の家にお邪魔する。一昨年に、マンション住まいから一軒家に引越したのだが、最近、少々頻繁に訪れている。多少の遠慮はあるものの、ほとんど気兼ねすることもなく行けてしまうというのも少々問題だと思いつつ、いつでも来て構わないと言われると、それに甘えてしまうものである。

最寄駅の脇にあるスーパーマーケットに入ると、美味しそうなイチゴがあったので、二つ箱詰めにされているのを買った。会計してもらうと、その箱に合う専用の袋をくれた。流石、日本である。これがドイツだったら、箱詰めもなければ、それ用のレジ袋などが用意されているということなど、まず有り得ないだろう。

駅から歩くと15分弱だろうか。幹線道路の脇に点在する店の様子を見ながら、ほどよい寒さの中を歩く。住宅地に入ると、静けさの中に、エアコンの室外機の運転音が響いている。それを聞くと、冷媒のつながった室内機からは温風が出ていることを想像してしまう。実に白ける話だが、寒い冬に温もりが得られるというのは有難いことである。

到着後、夕食をご馳走になる。昨年の秋に、バーデン地方で手に入れた赤ワインを開ける。美味しい食事とお酒と楽しい会話で新年が過ぎて行く。何気ないことだけれども、とても大切な時間のように思える。こういったことが日常の中の幸せとでもいうのだろうか。そして、こうして歓待してくれることに厚く感謝である。

新年脱力 2013.01.03

正月三が日も今日までである。明日は最初の金曜だから、公的機関は年始の業務開始だろうし、一般の企業では、仕事始めというところもあるだろう。でも最近では長期休暇を取る会社も少なくないから、明日も休業というのが実は健全な休み方なのかもしれない。そう決めつけてしまうと、思考も身体もまったく始動しないものである。

昨日、今年の目標は「脱皮」と宣言しておきながら、年明け早々「脱力」になってしまった。こんな三が日で良いのかと思いつつ、新年に入っても、瞬く間に時間は過ぎて行く。「脱力」している暇があったら「脱皮」しよう。「一皮剥ける」ということばもあるくらいだから、年齢に限らず、成長を続けたいと思う。

脱皮 2013.01.02

かなり前、昆虫の「羽化」について書いた。芋虫がさなぎになって、羽化するきには羽が生えて、飛べるようになるのである。哺乳類や爬虫類、両生類に限らず、生命の進化の過程は、いずれも神秘的ではあるけれど、羽化というのは、細胞分裂を繰り返す中で成長する人間とは、また大きく違った実に神秘的な生まれ変わりであるように思う。

同じように、成長過程の中で行なわれる不思議な生命の更新が「脱皮」である。いうまでもなく、ある特定の動物が成長する過程で、体表面が剥がれることだ。特にセミの脱皮は、剥がれるというより抜け出て来ると表現した方が良いかもしれない。それまでの外皮を残したまま、内側から新しい身体が出て来るというのは、一体、どういうことなのだろうか。

もし仮に、人間が脱皮するとしたら、何かと大変なことになるはずだ。何十億人という人の抜け殻があることなど、想像するのもおぞましい。そういえば、今年の干支である蛇も脱皮するから、人間とはいえ、一年の目標を「脱皮」にすることにしよう。実に短絡的だが、いまの自分には、そんなことが必要な気がしている。

謹賀新年 2013.01.01

明けましておめでとうございます。

無事に新しい年を迎えました。昨年は5年という一つの区切りであり、そして今年も、また別の大きな節目の一年となりそうです。大きな気負いはありませんが、新たな目標に向かって邁進する所存ですので、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

皆様にとっても、良き一年になりますように。