水泳談義 その1 2010.04.01
これまで何度も書いてきたように、日本でもドイツでも頻繁に泳ぎに行っている。日課といえなくもないが、必ずしも楽しんで泳いでいるというわけでもないから、自分に課せた義務のようなものかもしれない。その一方で、泳ぎ終わったあとの爽快感や達成感が心地良く感じられるので、それを考えたら趣味だといえなくもない。上手く伝えられないのだけれど、仕方なく泳ぎに行きつつも、それなりに楽しんでいるという感じだろうか。
早朝に泳ぎに行く理由はいくつかある。その一つは、始業時間としての役割だ。先日も触れたけれど、始業開始時間が決められていない変形労働時間制の私は、少し大袈裟かもしれないが、早朝に泳ぎに行き、少し身体を動かし終わって始めて新しい一日を切ることができる。逆に泳ぎに行けない日は、気持ちも行動もだらしなく始めてしまったりする。
理由の二つ目は頭の中を空にするためだ。いわゆる思考を潤滑にするための頭脳の再起動といえば良いだろうか。普段、どれだけ頭を使っているのかは微妙だが、これまでの経験から、泳ぎに行ったあとは、いろいろなことに集中できるし、作業もはかどることことは間違いない。行動が積極的になると言っても良いかもしれない。
第三の理由は健康管理だろうか。泳ぐことが健康に良いかどうかは私にはわからない。でも多分、良いだろうと勝手に思っている。本当は気分的なものが大きいのかもしれないけれど、某経済評論家が言うように、最も重要な自己投資は健康の維持だという意見に私も賛成である。でも泳いでいるからといって、いつ病気になるかもわからないから、意外と気休めなのかもしれない。
おまけの理由として挙げられるのは、麦酒を美味しく飲むためである。人によっては、それが最大の目的だろうと指摘する方もいるかもしれないが、泳ぐことが麦酒を飲むための免罪符のようになっている面も確かにあると私も思っている。