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還流独歩

have – do – be 2009.12.29

この話は、いろいろなところで紹介されているから、知っている方には改めて説明するほどのことではないのだが、私がお世話になっている某会社の社長の話にも出てきたし、私としても、とても共感できる内容なので、ここでも少しだけ触れておきたいと思う。

「have/do/be」を単純に訳すと、「所持/行動/存在」だろう。言い換えれば、「何かを持つこと」、「何かをすること」、「どういった存在であるか」ということになる。最後の「be」は「志」ということばに置き換えても良いかもしれない。要は「何を持っているか」より「何をやっているか」。そして「何をやっているか」よりも「一人の人間としてどうあるべきか」ということが大切ではないかという話である。

これは、どういったときに人は幸福を感じるのかという話のときに引き合いに出されることもあるし、あるいは過去の年代を大雑把に説明するときにも使われる。高度経済成長期は「持つこと」が最優先だったが、そのあとには「何をしているか」が大切になり、21世紀は「どうあるべきか」の時代である、といったような説明だ。

他には人生に例えられるときもある。若いときは持つことに執着し、次第に何をしているかが大切になり、そして最後は、人としてどうあるべきかに帰着するという流れである。その一方で、逆に志が先にあって、それに向けた行動をし、その結果、何かを持つという考えもあって良いだろう。

若いときにはお金がないから、欲しい物が買えない。だからアルバイトなり、何らかの行動をするけれど、その根底にあるのは、将来何をしたいか、どうなりたいか、という目標があるからだ、といった例を考えれば、どの順番が正解かということを決めつけるのは意味がないかもしれない。むしろ、その三つが適度に均衡良く保たれていれば良い気もする。

「have/do/be」といっても、それは人によって大きく異なるだろう。「have」だってお金では買えない大切な家族を持つということを指す人もいるだろうし、「do」にしても、お金がたくさんあれば実現できることがあるかもしれない。ただ「be」のどうあるべきか、については、お金の問題は抜きにしても難しい話だなあと思う。
 
誤字訂正:2010年1月22日 英語の「have」をドイツ語の「habe」と間違えて書いていました(すみません/苦笑)

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