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還流独歩

水泳談義 その3 2010.04.03

速い人の泳ぎには無駄がない。それはいろんなスポーツにもあてはまると思う。蹴球でも、野球でも、柔道でも、スキーでも、上手な人の動きには無駄がなくて奇麗だ。それは空手でいうところの「型」が決まるということなのかもしれない。無駄がないということは、いろいろなものが削ぎ落とされているのだろう。

削ぎ落としというのは、運動だけでなく、他の分野にもあてはまる気がする。それは手練れた職人さんの仕事だったり、人間国宝級の人の動きにも同じことが言えるのではないだろうか。歌舞伎や能・狂言といった伝統芸能にも通じることかもしれないし、あるいはギターやピアノといった音楽を奏でる技術も同様かもしれない。

それはもしかしたら建築のデザインにもあてはまるのではないか、とふと考えた。でも建築は動くものではないから、身体の動きの無駄を削ぐこととか、洗練さを磨くこととは異なる。では、建築の中の削ぎ落としとは何だろう。もしかしたら、機能が意匠とうまく絡み合ったものが、それにあてはまるかもしれない。私の専門分野だと外部環境と共感できるデザインなどが挙げられるだろうか。

そんなことを泳ぎながら少し考えたりもするのだけれど、それは頭をよぎるだけで深い思考などできるはずもなく、泳ぎ終われば頭は空っぽになってしまう。でも、帰り道の雑多な街並を歩きながら、何となくそんなことに思いを巡らせてしまったりするのである。

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