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還流独歩

捨てることの大切さ 2010.04.13

今日も水泳の話題から入って恐縮です。

ほぼ毎日のように泳ぎに行っても、気持ち良く泳げるときと、あまり調子が良くないと感じるときがある。これまでの経験から言うと、調子が良い状態のときは、大きな呼吸ができるときだ。普通に考えると、息をたくさん吸うことが重要に思えるかもしれないが、実は逆で、息を大きく吐くことができるときの方が私は調子が良いと感じる。

胸部は水圧を受けるから息を吸う方が難しく、吐く方がむしろ簡単だと思われるかもしれないが、泳いでいるときに肺から空気を吐き出し切ることは案外難しいのである。あたり前のことだが、深呼吸をするときのことを思い出せばわかるように、肺の中の空気を減らさなければ、新しい空気をたくさん取り込むことはできない。

気持ちよく泳げるときは、無意識のうちに大きく息を吐くことができるからこそ、普段よりも酸素をより取り込めるのだと思う。実は今日がそうだった。少し寝不足で泳ぎに行ったので、1000m程度で終わらせようと思ったのだが、思った以上に調子が良かったので、結局いつものように1500mを泳ぎ切ってしまった。

そして、ここからが今日の本題である。

息を吸うためには、息を吐かなければならないという、ごく普通の事実から見えることは、人間の活動には、入れることと捨てることが互いに連動しているということだ。むしろ捨てることが保証されているからこそ、新しいものを入れ込むことができると言い換えても良いかもしれない。

研究室で建築環境学を学んだとき、捨てることがいかに大切で、それは生命を維持するための根幹であることを知り得たのは本当に新鮮だった。子供の頃から捨てることはもったいないと言われてきたが、もちろんそれは、ある一面において極めて正しいものの、地球上のあらゆる営みは、入れて溜めて消費して捨てることで成り立っている。

いまさら引き合いに出すほどでもない周知の事実だが、人間を含めた動物は、食物を取り込み、排泄することで生命を維持している。排泄ができなければ、命の保証はない。車だって排気ガスを出すからこそ走れるのだ。地球も太陽から日射を受取る一方で、大気と雨の循環が熱を適度に宇宙に捨てているからこそ、私たちが生きて行ける環境が維持されている。

捨てることは大切だ。捨てることは生きることでもある。もちろん人間関係や信頼までは捨てられないけれど、捨てるという視点でいろいろな事象を見て行くと、世の中に溢れるたくさんのものの存在価値が気になってくる。そんなことを書くと、社会の潮流に逆らった変わり者という誤解を招いてしまう可能性があるが、でも最近は削ぎ落とされた簡素なものに惹かれるようになってしまった。

いまの社会、何でもかんでも捨てるということはできないけれど、新しいものを取り込むときには、何かを捨てることも必要ではないかと思っている。

加筆訂正:2010年7月28日(水) 

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