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寿司屋の昔話 その2 2010.04.19

北海道生まれの私は、東京に出てきて始めて「勝手口」というものの存在を体験した。変な言い回しに聞こえるかもしれないが、出前に行ったときに通された勝手口で、漫画のサザエさんに出てくる三河屋さんの気持ちが実感できたのである。

出前に行くお宅は、豪邸とまでは言わないにしても、大きな門構の立派な家も多かったから、玄関脇の呼出しボタンを押すと、大抵「裏に回って下さい」とか、「勝手口にお願いします」と言われたりした。そんな当たり前のことが私には新鮮だった。

三河屋さんが、ご用聞きとか配達にやって来るときに使う台所の脇にある勝手口というものは、北海道の家にはほとんどないだろう。いや、北海道以外であっても、最近建てられた住宅に勝手口があるのことは極端に少ないのではないかと思う。

私がその存在を面白く感じたのは、勝手口という扉を通して、家の中の様子や、その家庭の雰囲気がとても良くわかったことである。もちろん家の中を意識的に見ることなどしない。でも開けたときの感じや応対の方法などから、いろいろなことが見えてくるものなのだ。

勝手口の周りを奇麗にしているお宅もあれば、そうでない家もある。外の門構が立派な状況でも、裏側からは実際の生活の様子が見て取れる。それは多分、正面玄関でも何となく感じられるのかもしれないが、勝手口はそのお宅の立派な裏の顔なのだ。

そして出前に行ったときの対応も千差万別だ。代金をしっかり用意しているお宅もあれば、数分待たされるところもある。中には食べ終わって、お寿司を入れた飯台(はんだい)を受取りに来たときに支払うという人もいる。そういうお宅は下げに行くと大抵不在だ。

それよりも食べ終わった後の飯台の出し方から、そのお宅の様子を伺い知れることが面白かった。最低なのは、洗わないまま玄関脇に出してあるお宅だ。出前だから洗わなくても別に構わないけれど、あまり良い気持ちはしない。

私がいつも感心したのは、某8丁目のあるお宅の対応だった。その家は正直に言うと全然立派ではなかった。でも出前に行くと必ず玄関脇の外灯をつけていてくれた。それはもしかしたら出前とは関係なかったのかもしれないが・・・。

応対に出てくる女性は間違いなくそのお宅の奥さんと思われる方だった。私のような学生の出前係に対しても、いつも腰が低くて丁寧だったし、ときおり陰から顔を出すお子さんも、何だかとても行儀が良かった記憶がある。

私が何にも増して嬉しく感じたのは飯台を下げに行ったときだった。玄関脇に置かれた飯台は、すぐに持って行けるよう必ず手提げ袋に入れてくれていたことである。中を覗くと埃がかからないように、さらにビニル袋に包んであったことも多かった。

実は出前にとっては手提げ袋など逆に邪魔なのだが、その心使いが嬉しかった。そして、お店に帰って蓋を開けると、そのまま次の出前に使えそうなくらい、いつも完璧に洗ってあった。

私はこのお宅から出前が入るといつも嬉しくなった。そして届けに行ったときも下げに行ったときも、いつも晴れやかな気分にさせてもらった。そんなことはこのお宅の人はいまも知らないに違いない。

気がつけばもう20年も前の話なのに、寿司屋でのアルバイトのときに体験したことは、私の脳裏と身体のどこか奥深くに刻まれてしまっているようだ。

加筆訂正:2010年5月19日(水)/2011年12月2日(金)

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