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還流独歩

もったいない論争 その1 2010.08.20

捨てるのがもったいないという理由で、ものが捨てられない人が世の中にはたくさんいるらしい。私もその中の一人ではないかと思うが、深刻な状態にまでは至っていない。むしろどちらかというと必要なものと不要なものを即座に判断する方である。もちろん私以上に、ものが少ない生活を実践している人はたくさんいるに違いないし、私もまだ捨て足りないものはたくさんあるのだが、特に日本とドイツを往復する生活を始めてから、ものへの固執が薄れてしまい、不思議なことに、何かを持つことがそれほど重要ではなくなってしまった気がするのである。

自分で書いた過去の文章を見直してみると、2009年9月21日(月)には「整理整頓」、2010年4月13日(火)には「捨てることの大切さ」という標題で勝手な思いを綴っている。インターネットで検索すれば、同じようなことを言っている人はたくさんいるし、整理整頓に関連した書物も数多く出版されている。だから取り立てて私が強調するようなことでもないだろう。ただ一つ面白いのは、ものがあるから整理整頓しなければならないのであって、最小限度の生活を実践すれば、片付けする必要もなくなると主張する人がいることだ。私はまさにその意見に賛成である。

現代にはものが溢れている。たくさん所有しておきながら、それらを捨てるのがもったいというのであれば、ものは増えて行くに決まっている。道具学会会長の山口昌伴先生が仰るように、多くの人は「買物に行く」けれど「捨て物」に行く人はほとんどいない。だからものが増えるのは当たり前のことであり、至極もっともなことだ。いつか使うかもしれない、あるいは捨てるのがもったいないという理由で、不要なものを持ち続けることは、その裏側に隠れていて見えない大切な何かを逆に無駄にしているのではないかと思うようになった。

もったいないという言葉は、ものが少なかった時代にあてはまるはずだ。食べ物にしろ、使うものにしろ、絶対数が少なかったからこそ簡単に捨てずに大切にしてきたのだろう。ものが溢れている現代は、ものの本質を見極められないまま、簡単に手に入れることができてしまう。簡単に手に入ったものは、簡単に捨てられるかというと、どうもそうではないらしい。ものを大切にするという美徳に反する意識の方がいつの間にか大きく働いてしまうために、捨てるという行為には、ためらいの気持ちが伴ってくるのかもしれない。

その2へ続きます。

加筆訂正:2010年8月25日(水)

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