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レジ袋で考える その3 2010.08.31

その2からの続きです。

これはまったくの余談になるが、いつだったかパリで見た女性は、長いバケットを何も包まず、手に持つところだけ紙を巻いて颯爽と街を歩いていた。これには少々驚いたが、過剰包装ならぬ「過少」包装だろう。欧州はどこでもだいたいそうなのだ。日本の行き過ぎた包装も槍玉に上げられているが、程度の問題だろうとは思う。

結局、何が言いたかったのかというと、もう自分でもわからなくなってきているのだが、話を元に戻すと、要はレジ袋を持って歩くことが私はあまり好きではないということだ。もちろん私だってレジ袋を絶対に使わないわけではない。手提袋を持っていないときは素直にもらう。少量のゴミを出すときにも少しは重宝するから、4、5枚は常に持っている。

レジ袋の利用が日本で減らないのは無料だからだ。これを有料にして、日本全国での使用量を大きく減らしたとしても、世の中で消費される化石燃料はまったく変わらないに等しいだろう。エコバッグを持つことで環境への意識が高まることは悪くないが、そんなことをしても環境を守るといったことには一切つながらないと思う。

職場に出かけるときや外出のときに、常に手提袋を持っていくのはそれほど面倒ではない。でも袋など、どこでも気軽にもらえるから、誰も持って出かけない。某コンビニエンスストアで「この袋に入れて下さい」と言って手提袋を差し出すと「エコにご協力有難うございます」と言われる。私はレジ袋を持って外に出るのが嫌なだけなのに。

そういえば、日本には風呂敷というものを包む文化がある。いまはほとんど使われていないし、例えば実際に買物で使うとなると難しいが、その昔はものを持ち歩くときに、きっと重宝したことだろう。そしていまは、外出するときには鞄などを持って出かけるのだから、その中に手提袋を入れておくことだってできるはずだ。私もそうしている。

そんな生活を続けていたら、鞄に手提袋が入っていないと落ち着かなくなった。少し重い書類も入るし、帰りにスーパーで買物をしても適度な量が入れられる。使い終わったら、たたんでまた鞄に入れておく。無駄なゴミを減らそうとか、環境のために自分ができることから始めよう、などといった大層なことなど私は一切考えていない。

レジ袋を持っていると何となく貧相に見えるのではないかと思っているから、それがほんの少しでも軽減されるように手提袋を使っているだけなのである。

加筆訂正:2010年9月15日(水) 布袋を手提袋に書き換えました。

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