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還流独歩

橋の上で暮らすこと 2010.09.06

今日は掲載を少しためらった内容なのですが、せっかく書いたので載せることにしました。

いつの頃からだろうか。茅場町の近くにある橋の上で暮らしている男性がいる。その橋は首都高速の下に架かっているので、日射しも避けられるし、雨も当たらないから場所的には好都合なのだろう。初老に近いそのお父さんを私が見かけるのはいつも朝なので、お父さんがずっとそこにいるのかわからないし、どうやって生活しているのかを知る由もない。お父さんは目覚し時計やトランジスタラジオを持っているし、枕元には飲み物もたくさん並べてある。ときどき食事もしているから、本当に大変な暮らしをしているようには見えない。

お父さんの前をたくさん人が通り過ぎて行く。白シャツに黒ズボンという出で立ちの通勤男性たち、コンビニエンスストアで朝食を買ったらしき日傘の女性が足早に行き交う橋の上で、お父さんは寝ていたり、寝ていても首都高速の橋をじっと見つめていたり、あるいはラジオを聞いたり、膝を抱えて静かに座ったりしている。私がお父さんの前を通り過ぎるのは一瞬だから、そんな光景しか見たことがない。もちろんことばを交わしたこともないけれど、橋を渡るときに、お父さんを見かけないことがあると何だか妙に気になってしまう。

幸いという表現を使って良いのかどうかわからないが、私は橋の上で暮らす生活はしていない。いろいろな方とのつながりから、有難いことに仕事を頂きながら日々生きている。でも、お父さんの前を通るとき、もしかしたら自分も同じような立場になることが、これから先の人生で絶対にないとは言い切れないのではないかと思ってしまう。それはお父さんに対して失礼な発言であることはわかっている。ただ、人生には何が起きるかわからない。お父さんだって、いまのような生活を望んでいたわけではないとは思うが、それは私の単なる勝手な思い込みかもしれない。

私とお父さんのどちらが幸せかと訊かれたら、私には答えられない。お父さんがどんなことを考えているかわからないけれど、もしかしたら恵まれていると感じている可能性だって、完全にないとはいえない。お父さんのような生活はしたくはない人が大半だとは思うけれど、それは一方向的な見方という可能性もある。でもやっぱり、毎日人に見られながら橋の上で暮らすことはきっと辛いに違いない。私がお父さんがどんな気持ちで生活しているのかを感じ取ることは不可能に近いけれど、橋を通るたびに逆の立場を想像してしまうようになってしまった。

私はお父さんほど、精神的に強くはないかもしれない。お父さんほど、ものがない生活をする勇気もない。そんなことを考える自分は変なのかもしれないが、お父さんに会うたびに、心の中にいるもう一人の自分が問いかけてきてしまうのである。

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