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還流独歩

人生の岐路 その1 2011.11.19

月並みな表現だが、生きていると、さまざまな分岐点がやって来る。それはまさに線路がどこかで二手に別れるのと同じように、右や左へと進んで行く。人によっては直角に曲がることもあるかもしれないし、場合によっては、逆方向へと向かうことだってあり得るだろう。

そういった人生の別れ目は、自分で決めることもあれば、他人によって決められることもある。生きていれば、そんなことの繰り返しだ。あるときに聞いた話だが、人生の岐路の大半は、自分以外の誰かによって決められているらしい。生きて行く道の先々の選択は、自分の意志決定でありながら、それは自分以外の誰かが必ず関与しているのだろう。

そんなことを考えたら、自らの意思で生まれて来る人など、この世に一人もいないということがわかる。誰もが気がつけば生きている。この世に生を受けたいと思っているかどうかは別として、気がつけば一人の人間としてこの世に現れてしまった。そして生まれてから数歳までは、ひたすら生き延びるための一時的欲求を繰り返す。

それらの大半が、食べる、寝る、小便・大便をするという人間の根本的な生理現象に基づいた要求の意思表示だけだ。それがいつの間にか人間社会との関わりが強くなって行く。最初は親との関係が強いけれども、保育園や幼稚園に入れば、家族以外のとのつながりも強くなる。そして日々の中での選択という決断事項はたくさんやって来る。

その場合、子供自身の意思そのものが大きな割合を占めることは、最初のうちは小さいかもしれないが、それは人間の成長とともに次第に大きくなり、一次的欲求から、さらに広がりを見せる。他の子供と一緒に遊ぶ場所、時間の使い方、そして級友との関係など、ありとあらゆるすべてが選択という無意識にも似た決定事項の連続だ。

加筆訂正:2012年7月4日(水)

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