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還流独歩

東北視察 その2 2012.03.25

そのあと、仮設の「南三陸町さんさん商店街」にある飲食店で昼食をとる。今回、現地の案内役として、某大手建設会社の方の援助を頂いているお陰で、いくつか、現地の人たちとの意見交換会が組まれている。ここでは南三陸町飲食店組合長が経営するお店に案内を頂き、食事を頂く間、ほんの少しだけ話を伺った。聞くところによると、この商店街が運営を始めたのは、わずか三週間ほど前からだという。仮設とはいえ、ここまで来るのにも、大変だったろう。

その方によると、津波による壊滅的な被害を受け、そこから復興という旗は大きく掲げられているけれども、あらゆる問題は、そう簡単には解決しないような口ぶりだった。まず、高台に移転と簡単にいうけれども、例えば、商売をやっている50歳の人が、5年後に、本当に高台に移って、そこでお店を再開できるかというと、現実は非常に厳しいと言わざるを得ない。そして、何にも増して安全が最優先されなければならないが、その一方で、お金を稼げないことには話にならない。

いま、街には、20代、30代がほとんどいない。仕事のないところには決して住めない。漁師などでも、後継者がいない人は、銀行からの融資の際に、何かと問題になるらしく、次世代がいないと極めて辛いとのことである。また、仮設商店街を開くまでこぎ着けたものの、実際に運用し始めてからでないとわからない問題が多々生じている。それらの解決が大変だけれども、こうして人が来てくれることが、街の復興につながることは間違いないということだった。

そのあと、内陸側を南下し、石巻を経由して女川町へ向かう。バスの中から見ていて不思議に感じるのは、同じ場所でも、津波による損傷が激しい住宅と、それほどでもない建物が混在していることだ。波の当り方とか、周囲に建っている建物の影響、あるいは引き波など、複合的な要素が大きいのだろう。また、外側は損壊がないように見えても、内部は使えない状態になっていることもあり得るようだから、外から見ただけでは判断できない。

女川は、港の近くまで山が迫っている場所で、津波が襲った部分の平面的な面積は狭いのだが、その分だけ、津波の破壊力が大きくなったと考えられる。各報道機関が何度も映像を流して来た光景が目の前に現実のものとなって現れた。建物が基礎部分から横倒しになっている建物が、まだいくつか残されており、その中に車が残ったままになっている。港の地盤が下がってしまったらしく、海水が引かないままの大きな水たまりがいくつもあった。

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