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還流独歩

昭和な時代 その1 2012.04.29

平成に入って、もう24年が過ぎた。いま20歳の人は昭和を知らないし、仮に30歳の人でも、その時代を知っているのは小学生になる前くらいまでだろうから、昭和をつぶさに体験したかというと、そうではないと思う。やはり、少なくとも中学時代か高校生、あるいは20歳くらいまでの時期を過ごさないと、その人なりの昭和時代を想い出すのは難しいのではないだろうか。

そういう私も紛れもない昭和生まれであり、高校を卒業してからも、何年間は、まだ昭和であった。子供の頃から、毎年4月29日は天皇誕生日であり、それに疑問を抱くこともなかった。大学に入って東京に出て来たら平成になった。私は別に昭和という時代に、何かそれほど思い入れがあるわけではないし、回想に浸ることもないが、敢えて、昭和の日というものを設定されると、多少なりとも、当時のことを想い出してしまう。

それがいつの頃かというと、小学生時代だろうか。父親の仕事の関係で、帯広と釧路での生活を体験した私にとって、おそらくそれが昭和と呼べる時期なのかもしれない。これは以前にも書いたが、通った小学校は、どちらも木造だった。いまにして思えば、味のある学校だったと思う。最近でこそ、木造校舎が見直されてきているけれど、あの校舎がいまも残っていたら、どんなにか素晴らしいだろう。

そんなことを考えたら、何だか当時のことを想い出し始めてしまった。授業が終わると、棒雑巾などを使って床拭きをしていた。いや、雑巾を廊下の床に置き、腕を前に伸ばす雑巾掛けもやっていたはずだ。昭和初期の映画に出て来そうな光景がそこにはまだ残っていたと思う。窓枠の建て付けが悪く、吹雪の日は、その隙間から雪が入り込んで来るのも普通のことだったし、天井のめくれた板の隙間から鳩が飛出してきたこともあった。

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