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還流独歩

水泳談義 その5 2010.04.09

まだ続いています。

私が泳げるようになったのはドイツに来てからである。1998年にシュトゥットガルトの北にある小さな街でドイツ語を習っていたとき、ドイツの大学に通うために中国からやって来た青年に会った。坊主頭で中国語のなまりの強いドイツ語を話す彼の名前はもう忘れてしまったのだが、シェンだか、リュウだか、チャンだか、そんな名前だったと思う。

街で彼と出会ったとき、これからプールに行くので一緒に泳ぎに行かないかと声をかけられた。せっかくの機会だから水着の用意をして彼に付いて行った。確か灰色の雲が垂れ込める晩秋の週末だったと思う。その街には飛込み台も備えた50mの大型の水泳場があり、夏の時期は日光浴も兼ねて屋外プールに何度か行ったことがあった。

彼は母国の中国で国体のような大会にも出たことがあるというようなこと言う。真偽のほどはいまもわからないが、彼の泳ぎをみたら確かにそうかもしれないと思えるほど奇麗な泳ぎだった。私がクロールの息継ぎができるようになりたいと言うと、彼は急に中国人ぽい口ぶりになって、「それは実に簡単なことだ。そのためには、まずは僕の泳ぎを見るのが一番だ」と言う。

彼の助言は続いた。泳ぎの基本は「ゆっくり、大きく、より遠くへ」。それだけだった。ゴーグルをかけ、プールの端で潜水をする私の前を彼は奇麗に飛び出し、彼が言った通りに、ゆっくり、そして大きく、二回息継ぎをした。そして彼は私の目の前で何度も泳いでくれた。まっすぐに伸びた彼の手は水面を鋭く切り込むように静かに入り込み、その泳ぎは水しぶきをたてることはまったくなかった。

ゆっくり大きく泳ぐこと。そして手を伸ばすときは、もう伸ばせないと思えるところまで伸ばし切ってから水をかくこと。彼の助言を受けた私は、彼の前で何度か練習をした。それまで息継ぎをすることが怖かったのに、彼の泳ぎを見て、そして助言を聞いただけで、一回の息継ぎが実に簡単にできた。それまで水を飲んだりして大変な目にあった息継ぎがすぐにできてしまったことに私自身が驚いた。

「あとはその繰り返しだよ」という彼は、私のお礼の言葉も聞かないうちに泳ぎ始めた。プールの端から見る彼の泳ぎは本当に格好良かった。そして私は部分練習を続けた。一回の息継ぎが二回になり、二回は四回になった。その回数は簡単に増えて行き、泳ぐ距離は50mから100mに延びた。そして、いつの間にか500mも楽に泳げるようになった私は、自分の進歩が素直に嬉しかったし、小さな自信にもつながった。

日本では泳げなかったのに、異国のドイツへ来て、そして中国からの留学生から教えてもらって泳げるようになったことは実に変な組合わせだ。その彼とは、その後も何度か会う機会があったし、彼が別の街に移ったあともメールを数回やりとりしたけれど、いつの間にか連絡を取らなくなってしまった。

それから10年以上も経ったのに、私は彼から助言を受けた通り、相変わらず、ゆっくり大きく泳いでいる。いや、その泳ぎしかできないといった方が良いかもしれない。私はいまも彼に感謝しながら、できればもう少し速く泳げるようになりたいと思っている。

加筆訂正:2010年5月19日(月)

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