理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

無駄な節電 2011.05.23

3月に地震が起きてから、東京が暗くなったとは聞いてはいた。(無)計画停電が横行し、節電のために街が以前の明るさを失い、電車の本数が減らされて不便になったという話も耳にしていた。そして日本に帰って来て、私が最初に遭遇した節電は、成田空港から上野に着いて、日比谷線の上野駅に来たときだった。券売機の一台が節電のために使用中止になっていたのである。これは正直、予想外だった。

その日、東横線の自由が丘で降りたら、改札の一つが節電のため通り抜けられなくなっていた。都内のあちこちでエスカレータも運転を取りやめているし、いつものスポーツセンターへ行くと、エレベータも停止中であった。私鉄も特急などの運行を取りやめているし、これまでとは運行状況も大きく異なっているようだ。そんなことを今頃になって知るというのは、この二か月を東京で過ごして来た人に対して失礼ではあるが、致し方ない。

地下鉄の駅のホームなども、以前に比べたら明るくなったのかどうかは知らないが、現状でも暗いとは思わない。でも、駅名表示板や、行き先表示の中に入っている照明まで消すべきなのだろうか。東京に出て来た人や、海外からの方にとっては、実にわかりづらいのではないだろうか。節電するのであれば、ホームの照明を落すべきだと思うが、おそらく照明の系統が別れているから、きっと簡便な方法で消灯しているのだろう。

それに付随して思うのは、お年寄りや、乳幼児を抱えた女性、あるいは重い荷物を持った人なども使う公共交通なのに、エスカレータなどを安易に止めてよいものなのだろうか。私のように歩いて上れる人は構わないが、社会的に弱い立場にある人の利用を困難にするような節電は、腑に落ちないというより、何だか無意味にさえ思える。電力消費を抑えることは大切だとは思うが、節電すべきところは他にもたくさんあるはずだ。

私は節電を否定しているわけではない。必要であれば行なうべきだろう。でも「一つになろう何とか」という標語に従うかのように、すべての人が無理に行なうべきものではないと思う。そもそも節電という言い方も良くないのかもしれない。というのは、もともと不要だったと思われる電力もたくさんあるからだ。そして、いま節電していても、いつかまた以前と同じ状態に戻すとするなら、結局、いまの節電には一体何の意味があるのだろうかとさえ思ってしまう。

電気というのは、質の高いエネルギーである。照明にもなるし、扇風機などの動かす動力源としても使える。あるいは熱にも変えられるという使い道が多様で高質なエネルギーだ。目の前に熱いお湯が入っているやかんがあるとして、それを電球にかけても電気はつかないし、扇風機を動かすこともできない。だからこそエクセルギーの塊である電力を、どこにどのように使うべきなのかを考えなければならない。

無駄な節電はやめて、必要な節電とは何かを、いま一度、考えてみる必要があるのではないだろうか。

加筆訂正:2011年7月12日(火)

« »