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還流独歩

東北視察 その1 2012.03.24

昨日、3月23日(金)から二泊の予定で、仙台を中心とした視察に出かけた。いつもお世話になっている方から声をかけて頂き、震災から一年が経過した被災地の状況を見に行く機会を得た。事前に頂いた大まかな行程表の視察先として、津波で甚大な被害を受けた、南三陸町、女川町、石巻市の他、仙台空港のある名取市が載っている。それを見るだけでも、複雑な気持が沸いて来るので、正直なところ、行くかどうか悩んだ。

あの地震が発生する数時間前に、成田空港からドイツへ発ってしまった私は、幸運としか言いようがないのだが、それとは裏腹に、何とも表現のし難いしこりのようなわだかまりが心に残っている。さらに隠さずに書けば、被災地へ出向いて、何かの手伝いをしたわけでもなければ、一日も早い復興に協力しているわけでもない。だから、多くの人が亡くなり、家も家族も財産も、すべて失った街へ足を運んで良いものかと真剣に考えた。

それでも、いま見に行かなければ、おそらくこの先も、被災地を訪れることはないという気持もあった。誘われたら断らない。誰に対する失礼なのかわからないけれど、そんな気持を抱えながらでも、見に行った方が良いと心に決めて、参加させてもらうことにした。現地の写真や映像はいくらでもある。でも、それは磁気媒体を通じた二次元の画面の中の世界である。その環境に身を置かなければ、わからないことがたくさんあるはずだ。

東京駅を早朝に出発する新幹線で仙台へ向かい、視察の皆さんと合流し、専用バスに乗り換えて、南三陸町へ向かう。2時間ほどかかっただろうか。赤い鉄骨だけが残る防災対策庁舎の前に着いた。バスを降りると、線香の香りが漂っている。献花台に向かって、祈りを捧げている人が何人もいる。この建物から、避難を誘導する放送を最後まで続け、そして亡くなってしまった方のことを思うと、胸がきつくなって、表現することばも思いつかない。

水の力で押し曲げられた海側の壁の鉄骨や、山側の壁にある手摺がへし曲がった鉄骨階段、剥き出しのまま、上階からぶら下がっているいくつもの支持金物を見ると、自然という力の凄さを思い知らされる。ここは南三陸町の中心地であり、津波の爪痕を残す場所なのだが、その前には、我々だけでなく、他県からの車も何台が停まっている。現地の実情を見ようとやってきた人たちなのだろう。惨状を目の当りにして、誰も声が出ないようだ。

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