理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

新聞 2009.09.12

一昨日、テレビについて書いたので、今日は新聞の話題にするが、内容はほとんど一緒である。つまり、日本の新聞はまったくと言って良いほど読まない。その理由はとても簡単で、読む必要がないからだ。社会の動きを的確に把握するためには、新聞を読むことが欠かせない言われていたけれど、新聞に書かれている多くのことが、インターネットで入手できるようになってしまった現在では、その存在意義はもはや消えつつあるのではないだろうか。

もちろん紙面のすべてがウェブに公開されているわけではないけれど、多くの見識者と言われる人たちが厳しく指摘しているように、大手の新聞社の多くは独自の切り口がまったくできていない。いや、むしろできないのだろう。巨大企業の広告に支えられている報道機関には、権力に立ち向かって真実を深く追究して行く気概がもはや微塵も感じられない。毎日、毎日、大量の新聞を刷り、地下資源を浪費しながら各戸に配達して、一体何を伝えたいのだろう。

新聞は社会のあらゆる面に鋭く切り込んだ報道媒体ではなく、単なる情報誌になってしまっている気がするのは私だけだろうか。権力や大組織に迎合した記事などは、単なる宣伝か目くらましにしか過ぎないのではないかとさえ思う。ジャーナリズムと呼ばれる報道精神の一つは、社会的に弱い人たちの上に立つことだ。それは政治も同じだろう。

こんなことを書くと不快になる人もいるだろうし、この内容に賛成できないという方もたくさんいると思うけれど、私たちが本当に知りたいことを書かず、一面的な内容ばかりを伝え続ける新聞の価値は、今後、下がることはあっても、上がることはないのではないだろうか。物事の本質を鋭く見極めるための情報媒体は他にもたくさんあるのだから、「真聞」でない「新聞」はきっと消えて行くと思う。

加筆訂正:2011年12月3日(土)

« »