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還流独歩

建築が嫌いになった頃 2009.09.14

建築学科に在籍し、日々の課題に追われていた頃、段々と建築が嫌いになっていった私は、設計課題の1と2だけを履修し、それ以降、製図の授業を取ることはなかった。その理由は、授業がつまらなかったからである。課題を一つ一つ着実にこなして行くことも大切だが、大学の授業からは自分の心を揺さぶる大きな視点が得られるようには感じられなかった。

図面を書けるようになることは確かに大切だが、図面だけで建築は実現できない。私の勘違いだったのかもしれないが、大学での授業は、建築に求められるべきものは何かということをないがしろにしたまま、ただ図面を早く綺麗に書くことを強要していたように思う。細部はいいから、私は建築のあるべき姿といったもっと大きなことを教えて欲しかった。だから製図の授業から自然と離れていった。

意匠系に進む他の学生たちの課題作品を見たとき、建築デザインへ進む路線から自分が外れていることに対する寂しさを多少は感じたが、その一方で、いくつもの作品を見ても、何か気持ちが大きく揺れることはなかったように思う。むしろ、意匠系に進まなくても建築デザインはできるのではないかという気持ちが強かった。

私を建築からさらに遠ざけたのは、建築の授業や課題のときに聞かされる「建築に対する薀蓄/うんちく」だった。著名な建築家の本も読んだが、何を書いているのかさっぱりわからなかったし、いま読んでもきっとわからないかもしれない。建築に対する思いを伝えることは、とても大切だ。多くの建築家が、それぞれの言葉で建築を語っている。私はそれをできるだけ多く明快に理解すべきなのだとは思う。

オフコースとして活動していた小田和正は、東北大学の建築学科を卒業し、早稲田大学の修士課程へ進学したが、彼は「建築との決別」という題の論文を書いて卒業している。しかも、建築学会が毎月発行している「建築雑誌」の1995年10月号に、彼は「建築の学び方/僕の個人的建築史」という題で寄稿しており、私はそれを興味深く読んだ記憶がある。

恥ずかしながら、実はその内容はまったく想い出せないけれど、彼が言いたかったことに、とても共感したことをいまでも覚えている。機会があったら、もう一度読んでみたい。

小田和正/僕の個人的建築史/建築雑誌/1995年10月/p.44/Vol.110/No.1379

加筆訂正:2010年6月27日(日)

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