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還流独歩

距離の取り方 2009.09.16

自分の国について、好ましいとは感じられないことを口に出したり、書いたりすることには少なからず抵抗があるが、ドイツでの生活を通じて、互いの国の違いや、あるいは良い面と悪い面に気づくことは、ある意味、大切なことだと思う。しかし大抵の場合、嫌なことの方に目が行ってしまうことが多いのも事実である。ここでは、できるだけ両面について触れてみたいと思う。

日本に戻ってきて感じることはたくさんある。日本食の美味しさや、その多様性、便利さや正確さに感心する一方で、人の多さや無秩序な街づくり、看板の多さ、貧困なデザインなど、数え切れられないくらい気になることが多い。その中でも、時折気になるのが、人との距離の取り方である。

早歩きな私は、前を歩いている人を抜くことが多い。もちろん鞄がぶつかったりしないように気をつけたりしている。でも後ろから人が来ていることに気がつかない人が多い。東京は人が多いから、いちいちそんなことに気を使って入られないのだと思うが、後ろから来る人に対する意識というのものが、ドイツよりも格段に低いと思う。

良く指摘されるように、欧州では扉を開けて入るときに後ろから来る人にも気をつけてあげるのが一般的だが、日本ではあまり見かけない。最近では少しは違ってきているようにも思えるけれど、例えば歩道を歩いていて、「お先にどうぞ」と道を譲ってもらったことはまずない。ドイツにいるときに気持ちが良いのは、この点だろう。

少し急いで歩いているときに、前を歩いている人は、ちらっと後ろを振り返って、「お先に」という仕草をしてくれる。それは「目配せ」であったり、「手でどうぞ」と示してくれたりする。譲ってもらった私は「ダンケ」といって通り過ぎる。これまで何度あったことだろう。こんな日常体験は、残念ながら日本ではほとんどない。

家を一歩出たら、そこは個人ではなく社会である。だからどこへ行っても、人との適度な距離の取り方ができている。後ろから来た人を、さっと通してくれるその気配りが素晴らしい。きっと心に余裕があるのだろう。日本の人には日本人なりの別な気遣いがあるはずだから、同じことを日本の人に求めるのは難しいに違いない。

でも、歩道を歩いているときに、後ろから来る人には無頓着な人がやっぱり多い気がする。それは仕方のないことなのだろうけれど、適度な距離感を持って道を譲ってあげられるような気持ちの余裕を常に持ち続けたいと思っている。

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